腕の中で眠る存在は外の光に薄ぼんやりと照らされて死体のように青白いけれど、なにとはなしに緩く掴んでみた手首はゴウゴウと血流を感じさせてくれた。この細い腕が、見かけとは違いかなり頑丈であることを、この男を知るものならば誰もが知っている。けれど酷く心配だった。そんなことを云えば、何を今更!だとか、どの口が云う!とこの上なく人の悪そうな笑い顔で罵られることは明白であったが、けれど酷く心配だった。
衝動的に、男の、艶やかな黒髪に指を差し込む。地肌のぬくもりが、余計に俺を不安にさせた。指はそのままに、今度は唇を青白い顎から首筋に浮き上がる血管に這わす。かさついた唇で申し訳ないと思いながらも鎖骨を撫で、寝巻きの合わせに鼻を入れる。何度も何度も鼻腔一杯に男の無駄に甘ったるい匂いを吸い込んで吐き出す。同時に指で髪を掻き乱せばそれはまさしく欲情の表れで、再び顔を上にずらして鎖骨の窪みを念入りに舐めていると、頭の上から声が聞こえた。今日はしないのではなかったのか。
咎めるでもなく諌めるでもない、むしろ人を小馬鹿にしたような声色が男の肌を通って俺の脳を揺さぶった。確かにそうだ。どうしようもなく抱きたくなる日もあれば、同じようにどうしても嫌な日があった。今日はまさに後者の日で、着物を脱ぐのも煩わしかったというのに、いったい何故急に行為に及ぼうとしているのか自分でも分からなかった。だが、決して言い訳するつもりではないが、これは性衝動から来たものではないと断言できる。唯不安なのだ。不安で仕方がない。この存在を喪いたくない。自分の存在も損ないたくない。なにかをなにかに繋ぎとめていなくてはならないような、義務感にも酷似した、切羽詰った感情。酷く不安定な精神を正確に理解したまま、俺は狂ったように男の身体を舐めまわした。されるがままの男が、喉の奥でクツクツ笑った。

2008/06/08 『総ての生物に等しく在る彩り』