寒い冬が終わり、春の息吹を感じる今日この頃。寒すぎず暑すぎない快適な気候には感謝するが、鼻炎持ちの自分には少々、いや、かなり過ごしにくい時期でもあった。暖かいのは大いに結構だが温暖な気候の対価であるように花粉が飛散するのはつらい。銀時にとって、春という季節はまさに究極のジレンマであった。彼が春について思うことといえば、それくらいだ。
ところで、最近の若者はあまり使わないが、彼ら以上の世代は恋愛が成就することを『春が来た』などということがあるのだが、今現在、銀時は身近な人物に春の予感を感じていた。今も洗面所で、いつもより念入りに髪をとかしているだろう神楽の、ここ最近の上機嫌は異常なほどだった。しかし本人には自覚がないらしく、また周りの人間もいい歳こいた大人なので野暮なことは一切言わないし聞かない。だがしかし、あいつが恋をしているのは確実だった。そういえば神楽に初潮がきた(らしい。勿論、現場を押さえたわけではない)ときも思ったことだが、小さな子供が徐々に年頃の娘になっていくのを見守ることしか出来ないのは、喜ばしいことであると同時になんとも歯がゆいことである。あかの他人である自分でさえそう思うのだから、娘と離れて暮らすあのハゲ散らかした男は相当辛いことであろう。もっとも、あの男が今現在娘がどういう状況にいるのかを知っているはずはないのだが。
新八もまだ来ていない万事屋の奥、いつもの椅子に深く腰掛けて、いつもと違う髪留めを試している少女をひそかに観察する。そういえば誰も彼もが大人を気取って無関係を決め込んでいるから、結局のところ神楽が誰に好意を寄せているのかは謎だった。自分も三十路前のいい大人だということは自覚していたが、気になるものは片付けないと気がすまない性質で、後で他の”いい大人”たちに抜け駆けだなんだと嫌味を言われるのを覚悟で、銀時は少女を手招いた。お前、最近妙に機嫌よくねーか。
神楽はわからない、といったふうに肩をすくめただけだった。ところで、銀時は久しぶりに正面から見つめた少女が出会った頃から確実に変わっていることに驚愕した。子供の成長は早いということよりも恋とはこのように人を変身させるのか、といった驚きのほうが勝った。まっすぐに見つめ返してくる少女の空色の瞳がまぶしすぎて、思わず視線をそらしながら尋ねる。いいことでもあったのか。
思い当たる節があったらしく、神楽はすこし考えた後大きくうなずいた。好きなひとが、できたアル。
真正面から宣言されると、すこし悲しい。子離れできない親のようで嫌だったが、実際そのようなものだから仕方ない。けれど、相手は沖田君か? などと思案している脳の隅で、保護者的な意識とは違う感情が蠢いていることを銀時は正確に理解していた。それをこう見えて意外と聡い少女に気づかれぬように、そして感情の正体を自分で認めてしまわぬように細心の注意を払いながら、つとめて、よいお父さん(実際のところお父さんたる存在を知らないのであくまでお昼のドラマを手本にしているのだが)の表情を保つように努力した。そうかよ。で、相手は誰なんだ?あのクソ生意気な沖田君か?
神楽は嫌そうに顔をしかめた。そういえば星海坊主と会話するとき、いつもこんな表情をしていた気がする。おい、あんなハゲと俺を一緒にするんじゃねーよ。
「そんなことまで銀ちゃんにいう必要ないアル」
「…なんだよー、俺ってそんなに信用ねーの?大丈夫だって、新八たちには絶対いわねーから。約束。銀さん約束破ったことあったかー?ないだろー?な、誰なんだよ、教えろよー。かーぐらー」
しかし神楽は銀時の約束を破ったことがないという発言を撤回させただけで、あとは口を噤んでしまった。少々粘ってみたがまあこちらとしても隠したがることを無理に聞き出す趣味はないわけで、というかそもそも、少し冷静になってみるとなぜ人の恋路にここまで干渉したがったのか自分でも謎だった。あーじゃあもう無理にきかねーよ。とにかくアレだ、頑張れよ。そいつとうまくいくといいな。
しかし神楽は照れるでも笑うでもなく、というか完全な無表情で言いやがった。
「わかってるネ。わたし、絶対銀ちゃんたちみたいな不毛な恋愛はしないアル」
なにいってんだ と笑い飛ばせたら良かったものを、残念ながら俺は、笑うことも怒ることも、話を変えることも出来ないほどにショックを受けていたわけで。



『好きなひとが、できました』2008/3/18