手を繋ぐという行為を、この男と以外にしたことがないと、桂はぼんやり思った。誰よりも敬愛していた人はいつも優しく手を差し伸べてくれていたけれど、その頃の自分にはどうにもあの大きく暖かい手を握り返す勇気は無くて、同じくらい小さくて、同じくらい無力な手をとることしかできなかった。
 左手はあの頃と変わらず、自分と同じくらい無力で自分より骨ばった右手に捕らえられている。ひどく冷え切っているのは、自分か、それともこの男のか。しとしと振る雨の中、見上げた桜はもう満開というには遅すぎるもので。自分達はいつも、遅すぎるのだと痛感したのはきっと、ふたりとも同時だったに違いない。態々もってきている二本の傘を開こうとしない理由も、たぶん同じ理由だ。
 濡れた髪が重たく肩に乗り、だが桂にそれを気にする余裕は無い。
 喉元で息が詰まりそうになるのは、春先の身を切るように冷たい雨のせいか、喪ってしまった数多の光の欠片のせいか。春雨は暖かいというけれど、やはりまだまだ冷たくて、僅かに身震いする桂にかけた高杉の声は珍しくかすれたものだった。

「寒いか…?」
「ああ……いや、大丈夫だ」
「そうか」

 また見上げた桜に亡くした者たちとの思い出など無いけれど。
 繋いだ手を、少しだけ強く握りなおしたのも、ほぼ同時だった。



『残る寒さ。』2008/3/17修正