これは、課せられた使命から逃げた俺への報いなのだろう。
今にも泣き出しそうなどんよりとした雲の下、銀時と待ち合わせた場所へ向かう。いつもは時間にルーズな男が、今日は自分より早く来ていることに桂は驚きを隠せなかった。
銀時。
呟くような呼びかけに振り返ったその男は、桂を見とめると顔を顰める。この能天気な男にこんな表情をさせてしまうほど自分の顔は酷いのだろうか、と桂はひどく冷静に状況を分析していた。しかし、そのわりに呼吸は必要以上に乱れ、鼓膜の内側で鼓動が煩すぎるほどに響いていたのだけれど。
銀時。
縋るような思いでもういちど呼びかけると男は目を逸らし、首を振った。
「………そうか」
「悪ぃな………」
「いや、もう少し捜してみるさ」
「心当たりでもあるのか?」
「ああ、ひとつだけ。」
桂は盟友に軽く頭を下げると目的の場所へ向かう。
『このへんにも在るんだ』
『……何がだ?』
『桜。あの桜みたいにでけェ奴よ』
昔住んでいた場所の近くに見事な花を咲かす桜が在った。
それはそれは立派なもので、毎年春になると仲間を集めて馬鹿騒ぎをするのが桂の楽しみでもあった。だが先の大戦の折、天人の攻撃を受け老木は燃え、何人もの仲間が死んだ。なんとか生き残った者は住む場所を求め、なじんだ住処を離れる。散り散りになっていった仲間達が全員揃うことは終ぞ無かった。
一度は離れた高杉とこの街で出逢ったとき、彼はひどく嬉しそうに言った。そのときの笑顔は仲間達と騒いでいたあの頃のままで、それから毎年春になると、その桜を観に行くようになった。完全に敵対してからは共に行くことはなかったけれど、毎年高杉も見に来ていることを知っていた。誰に聞いたわけでもなかったが、桂は確信していた。そしてそれは、願望でもあった。
あの桜の木の下に居るかも知れない。舞い散る桜の下で酒でも飲んでいるのだ、きっと。幕吏に負わされた傷は彼を酷く痛めつけているだろうけれど、それでも強がりな彼はきっと何も無かったような顔をして振り向くのだ。そして一言呟くだろう。甘い台詞を吐けない彼は、瞳を逸らし、口を尖らせ、悪戯っぽく、あの笑顔で。
「高杉………」
雲が厚みを増し、日の光が遮断される。霧が出てきて、妙に冷えた大気に、心が震えた。無意識のうちに桂の歩調は速くなる。心音だけが耳に煩くて、その煩わしさを少しでも紛らわすために走り出す。早く見つけて、このもやもやとした気持ちを終わらせたい。心配させるな、とあのにやけた横っ面を一発引っ叩いてやりたい。だがその一方で、高杉がそこに居ない事をどこかで望んでいることも、彼は自覚していた。
あの場所にいなければ、俺はまだ捜し続けることができる。
あの根無し草のような男の行方を追って、生きることができる。
しかし果たして、高杉は其処にいた。
一番大きな桜、昔見たあの桜とよく似た其れの根元に眠るように身体を預け、顔も手足も、体中に薄桃色の花弁を纏って。近付いても身動きひとつしないその男の前に、桂はしゃがみこんだ。こんなに近くで顔を見るのは久しぶりだった。相変わらず女のように整った顔に色は無く、切れ長の目は確りと閉じられている。しかし薄く開いた唇は笑みを象っていて、力なくおろされた手は確りと酒瓶を持ったままで、其れが実に彼らしい。
桂はゆっくりと手を伸ばすと高杉の頬についた花弁をはらう。悴んだ指で触れて尚、冷たい頬だった。桃色だと思っていた花弁はもう灰色に近くて。自分の思考もモノクロに近付くのを感じた。
「晋助………」
護れなかった俺を、どうか赦して欲しい。支えることも、痛みを分け合うことさえ出来なかった無力な俺を、赦して欲しい。もし赦せないならせめて、怨んで欲しい。怨んで、すっきりしたら、少し休め。お前は頑張りすぎたのだから。後は俺達に任せて、お前は其処で高みの見物でもしているがいい。
数え切れないほど経験した状況は、桂に涙は流させなかった。慣れてしまった自分に、泣きたくなっても、泣くことは出来ない。それを哀れんだのか、静かに、空が泣きはじめる。
桂は無言で、労るように高杉の頭を撫で続けた。雨も空も桜も、今の彼の眼に映る全ての物に色は無く。しかし只、高杉の腹にこびり付いた血の痕だけが妙に鮮やかで。そこだけが鮮やかで。
しとしとと降る雨がふたりぶんの体温を余計に奪ってゆく。
『桜のとき』2006/4/4
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