「はい左、右…阿部君ちょっと遅い!もっかい!」
何回目かの篠岡の苦笑交じりの指摘を受けて阿部は明らかにうろたえた。
自分的には完璧なつもりだったんだろうが、今のは誰が見てもちょっと遅かった。部活後のベンチ横。マネジの前に横一列に並ばされているのは7組男子達。篠岡も含めた7組野球部はあと4日後に迫った体育祭の応援班に抜擢されているらしい。故にこうして部活後のわずかな時間を利用して振り付けを練習しているのだ。1週間ほど前からほぼ毎日練習しているので3人とも振り自体は覚えたようだが(篠岡は教える立場なので初回で既に完璧にマスターしていた)どうも動きのタイミングが揃わない。3人中ふたりは揃っているのだけれど、トリオの真ん中、先生たる篠岡のまん前で踊る(?)阿部はどうも、どうにも、なんというか、リズム感が、ちょっとアレなのかもしれない。多分野球部全員が気づいているが、だれも何も言わないのは阿部が実は小さな傷がつきやすいタイプだからだろう。
「あべー」
水谷の疲れきった批判を無視した阿部に「遅かったか?」と視線で訊ねられれば申し訳ないが目を逸らすしかない。ごめん阿部。でも、うん、ちょっと遅かったよ。「ほら!栄口だって遅いっていってんじゃん!」と水谷。や、口には出してないんだけどね。
「大丈夫だよ!もっかい!もっかい通してみよ!」
落ち込む阿部を笑顔で励ます篠岡。全然苦じゃないようなそぶりを見せているが(実際苦ではないんだろうけど)実は今日廊下でしゃべったときに「『(3人の振りを)完璧にする!』ってクラスの子に約束したんだけどね」と苦笑しながらぼやいていた。「約束したからね」だったかもしれない。どちらにせよ、篠岡はすこし焦っていた。明日の昼休みには連全体で合せて踊るらしい。
着替え終わった部員達が3人の踊りを見守るのも、もう恒例になっている。今日の最前列の観客は9組の3人で、体育座りで見上げられて、花井や阿部は居心地が悪そうだ。篠岡の声にあわせて、再び3人が踊る。真ん中で必死に踊る阿部がなんだかほほえましくて、でもかわいそうで、オレはいつのまにか手拍子していた。篠岡の掛け声からも、オレの手拍子からも、阿部はすこしずれている。一通りして、一瞬の沈黙。を破ったのは田島の「阿部、運動神経は悪くねーのにな!」だった。地雷だ。
「お前らが目の前でガン見してっからよけー緊張するんだろーが!」
確かに、この時間の阿部はいつも緊張しているようだった。練習中の楽しそうな顔や試合中の悪魔のような顔は姿をひそめ、かわりにかなりへこんだような表情をするようになった。絵文字でいうと目がハの字で口がうにゃうにゃしてるやつにそっくりだ。オここ2、3日なんてコオリオニをしている段階ですこし憂鬱そうだった。その後、何回か通して、阿部が半分泣きそうな声で「もーやだ」って言うまで練習は続けられた。あんまりにも弱弱しい声だったもんだから皆ぎょっとしたに違いない。オレはかなりびっくりした。もし泣いたら(や、そんなことは絶対無いのだけれど)どう場を治めるべきか一瞬悩んで、ほんの一瞬、腹が痛くなったくらいだ。
「…ちょっとはマシになったんじゃね?」
自分のリズム感のなさに絶望して立ち尽くしている阿部を見かねたのか、珍しく、泉がほめた。(実は泉の方が踊りの類が下手だとオレらが知るのは、1年後、泉が応援班に入ったときだ。)とにかく、阿部は泉の言葉に少しだけ元気づけられたようで、とりあえず、今日はここまでということになった。帰りの仕度をしている間に阿部は少しずつ元気を取り戻して、皆が胸を撫で下ろしたころ、再び爆弾が投下された。
「しのーか!オレ7組の連ダンス完璧に踊れるようになったぜ!」
だから明日のおにぎり大きくして!とでも言うように篠岡に話しかけている田島だけが、背後で阿部が再び涙を堪えていたのを知らない。無邪気とは恐ろしいものだ。けれど直後、帰り道で阿部を励ますのが自分の仕事だと思い至って、申し訳ないけど、田島のこと、ほんのちょっとマジでむかついた(笑)
『踊レ踊レ!』2010/2/22
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