なんと声をかければいいか迷っているのだろう。なにかを言いかけて、けれど祖父はなにも言わなかった。オレも、とくに何も言うことが思い浮かばず、沈黙が落ちる。受話器の向こうで、祖父はなにを考えているのかはわからないが、それでも一生懸命高校球児の立場になろうと努力してくれていることは容易にわかった。祖父は母に似て(いや、きよえが父親似なのだが)気が優しいひとだ。祖父に気を遣わせてはならない。こちらからなにか言わなくては。そう思うのだけれどやはりなにも思いつかなかった。
もう3日経つのに、一向に気持ちが浮上しない。にもかかわらず、まだ3日しか経っていないのに最後の試合のあたりの記憶は曖昧だった。ただ、後味の悪い、後悔とも悔しさともつかない感情だけが膨らんできて、もうどうしようもなくなってしまっていた。 なにかをいわなくては。 そう思えば思うほど頭の中が真っ白になっていって、最後の打席に立ったときと同じような感覚だと思った。打たなければと思っていたのに。あのときオレは打ったのだろうか。ボールにバットを当てることが出来たのかどうかさえ、記憶になかった。
祖父は野球が殊更好きというわけではないのだが、スポーツ全般なんでも出来たという話を聞いたことがあるような気がする。ああ、思い出した。祖父は水泳が得意で。平泳ぎだったか背泳ぎだったか忘れたけれど、県の代表に選ばれたことがあるはずだ。ほろ酔い気分の彼は幼いオレを胡坐の間に置いて、その話をなんども聞かせてくれた。泳ぐことはとても気持ちの良いことで、どんなに嫌なことがあっても、親や先生に怒られても、泳いでいるときだけは、ただ泳ぐことだけに集中することができたそうだ。祖父にはライバルがいた。実はそのライバルが、数年前まで祖父母の家の裏に住んでいたキムラさんだということはついこの間、キムラさんのお葬式で知ったのだけれど、そのとき一度だけ、祖父は、キムラさんとの競泳で負けた思い出を語ってくれた。本当に、どうしようもないほど悔しかったのだと言っていた。あまり詳しくは教えてもらえなかったけれど、淡々とした口調の中にさえ祖父の悔しさが感じて取れたのでオレはそのときは確か「そうなんだ」と、ただ一言しか言えなかった気がする。
フミキ、と、電話越しに、煙草ですこし枯れた声がオレを静かに読んだ。オレの返事は声にはならなくて、だから電話の向こうの祖父にはオレが頷いたことも泣きそうになっていることもわからないはずなのに、なのに祖父は絶妙のタイミングで、頑張った、でも、惜しかったでもなく。

「お疲れさん」

うん、と答えたオレの声は喉の奥で動かないままで。


『なつのおわり』2009/08/23