「そんなことないよ!」
篠岡が部活以外で声を張り上げるのを聞くのは中学生のとき以来だったから少し驚きながら、栄口は教室の真ん中の列後ろから2番目の野球部主将の席へ向かった。普段ミーティングなどは窓側の水谷と阿部の机を囲むことが多いのだが、最近は日差しが強くなってきたので直射日光を避けるために花井の机で行うことになっていた。小さな机の上に大きい弁当箱が3つと、小さい2段弁当が1つ。流石に自分の分を置くスペースはないだろうと、花井の前のひとの机を拝借しようとしたところで「もう食べたからいいよー」と篠岡が席を譲ってくれた。彼女は意外に早食いだ。お言葉に甘えて、座らせてもらう。まだ食べている阿部が水谷を「退け」と睨んだけれど、仲間はずれ反対!とかなんとか食い下がったから結局、篠岡と水谷は背中合わせにひとつの椅子に座ることになった。仲よさ気なふたりを、けれどそういう目で見たりしないのは、普段からのふたりの関係が健全すぎるほどに”友だち”だからだろう。
「さっきどーしたの。珍しくでかい声で」
弁当を広げながら、栄口が篠岡を見た。
「え、うそ?大きかった!?うあー…恥ずかしい…」
「すげーコーフンしてたもんねえ。オレ、野球以外であそこまでコーフンするしのーか、初めてみたし!」
「え、そーか?ナイターですげー勝ち方したときのメールのテンションも結構やばいぞ。びっくりマークとハートの絵文字使いまくってるし。あとキラキラも。」
「阿部君だって猫の顔とかピースとか使うでしょー」
「ええええマジで?阿部、オレとメールするときいつも文字だけなんだけど!なんなのさ、プロ野球でそこまで盛り上がるとか、ふたりともどんなコアな話してんの!?」
「てゆーか篠岡は結構急にテンションあがるだろ。ほら、こないだの帰りガリガリ当たったときなんて態々戻って貰ってたし。田島と西広とすげーすげーってはしゃいでたじゃん」
「ああ!あの日ね、オレも一緒に戻ったから覚えてるよ。あのテンションはヤバかったねー」
思い出して笑う7組男子に頬を膨らませて、篠岡は勢い良く栄口を見た。聞いてよ栄口君、みんな酷いんだよー?!といつもの調子で喋りだすから、栄口もいつものようににこやかに促した。
「阿部君ね、イタリアで女つくるに決まってるとか言うんだよ?!聖司君のこと!」
「は?セイジ君?」
「あんねー、今オレらジブリの話してたの。栄口、耳すまみたことあるー?」
「ああ、あのヴァイオリンの。好きなの、篠岡?」
「大好き!だって凄いかっこいいし!ていうかあの映画の、”青春”って感じがもう最高にいいよ!大好き!」
「えー……オレあーゆースカした奴は基本無理。中3で結婚とかありえねーじゃん…」
語りだした篠岡を阿部が鼻で笑った。高校野球と贔屓のプロの話になると阿呆のように団結するふたりだが、”青春”の定義については少々意見が違うようだ。
「じゃああの男子は?誰だっけ、野球部の」
「杉村君でしょ!最終的に夕子と付き合う、」
「そーそーそれそれ!てか阿部って杉村っぽいよね。テストのヤマ当てうまいとこだけ」
「ムスカっぽい、ってシニアで言われたことはある…」
「ああ、なんか似てる。『跪け!』とか言いそう」
「栄口はオレのことどんな目で見てるんだよ……」
「や、そこはあべくんだろ、「握手してやんねーよ」の」
「分かる分かる!あのツンデレ具合は確かに阿部だ!じゃあ三橋はあのエースだな!なんの前触れもなくいきなり天気訊いてくるスケベ横丁の子!どもり具合もそっくりだし!」
水谷は結構ジブリに精通しているようだった。自らあべくんの話を振っただけあって花井は理解したが、栄口は首をかしげる。だれ?天気?オレ、あれ1回くらいしか見たことないんだけど。
「『曇りの日と、雨の日と、晴れの日と、どれが好き?』みたいなこと聞いてくるんだよ、スポーツ大会でタエ子のクラスと敵対したクラスの奴で、エース。タエ子のこと好きなんだよ、そいつ」
「あー!あのアレ?主人公が空泳ぐ前のシーンの?」
「そうそう!好きなーんーだけどー、のひと」
「広田君だよー」
「詳しいな、篠岡…じゃあ沖は?」
「なんでここで沖?」
「どーせだからみんな誰にあてはまるかしたいじゃん!」
水谷の提案に篠岡は賛成したけど、花井は若干嫌そうな表情をした。今日、昼休みを割いてまで集まったのは当然、ミーティングをするためでジブリの会話をするためではない。けれど副主将が揃って、沖が誰に似ているか考え出した時点で彼は諦めた。このメンツで、4対1で花井に勝ち目など無いのだ。
「なんかヤックルっぽいよね、沖君」
「え、それ酷くない?草食動物だよ?」
「えー?褒めてるんだよー!!一番気転が利くし、すっごい頑張ってる!仲間思いだし!仲裁とか入るし!」
「それでいくと栄口はシシ神だな」
「あーわかる…ぽいわ」
「それでいくと、ってなに。てかなんでシシ神だよ…」
「え、もしかして嫌?森の神様だよ?」
「なんとなく…四足かよ、て感じ。」
「夜になったらでかくなるじゃん。……じゃあおソノさんは?魔女宅の」
「……嫌じゃないけど、なんで」
「なんつーの?包容力と、雰囲気と、あと緊張したあと腹痛くなるとこが」
「あれは陣痛だろ!つか最近オレあんまり腹痛くなんないし!………じゃあ田島は?」
「あれはメイだろ。あのテンションはメイ。あと巣山はカーチス。紅の豚の」
惚れっぽいところがな、と皆が納得する。実際、巣山は惚れっぽいというより、女性好きを隠さないところがあるのだ。道を歩いていて、突然、「オレ今のひとすげー好み」とか言う感じだ。
「水谷は閣下。ラピュタの」
「は?閣下?」
「阿部がムスカならねー」
「なにそれ!!それじゃあオレ、阿部にいいように使われてるってことじゃん!?しかも死ぬし!もっとカッコいいのがいいよ!それこそハウルとかさあ!セイジ君とかさあ!!」
聖司君は違う、と間髪いれず篠岡が突っ込み、水谷は渋々引き下がった。
「泉は…クシャナ殿下でいいんじゃね?」
「なんかわかる気がしないでもないかも。なんか偶に貴族っぽいし。顎でひと使うときとか」
「本人聞いたらキレそうだけどな」
「いや、意外とノってくれるかもよ。腕、ジャコッてして『我が夫となるものは〜』みたいな。『焼き払え!』みたいな!あいつああみえて結構アニメとか漫画とか見てるしさー」
「ああ、やけにゲームにも詳しいしな。」
「花井はアシタカ」
阿部が行儀悪く花井を箸で指しながら笑った。
「え、オレ?」
「なんか、つくすタイプって感じがそっくりじゃん。あと、微妙に報われてないところとかさ」
「あ。阿部君、いまの失言でーす。減点1」
「え、でもみんな思ってるって。つかなんの減点?」
「思っててもダメ。花井君は花井君なりに頑張ってるんだから!ねえ?」
「ありがたいけど篠岡、それフォローになってない……」
「つか、キャッチャームスカって結構笑える」
「ヒロタ君絶対たじたじだよなあ!てゆーかファーストヤックルとか絶望的だし…」
「三塁とショートはともかく、セカンドも四足だしなぁ。つか外野がやばくね?」
「最強だろ、特にセンター。ライトも守備よさそうだし、ああ、レフトだな。唯一にして最大の穴」
「それ暗にオレのこと言ってんの!?ていうか唯一じゃねーし!一二塁のほうが穴だってどう考えても!しかも動物より閣下動けるよ!頑張れるよ!若い頃は凄かったんだってきっと!だって閣下だし!」
「閣下の頑張りは知らねーけど、シシ神様は守備余裕だろ。ヤックルもなにかしらやってくれるだろうし」
「なに。なにかしらって、なに!?」
「口でキャッチしてそのままタッチアウトはできそうだね」
「それは無理だよ!篠岡、ヤックルのこと過大評価しすぎ!彼そこまでできないって。てかそーゆー篠岡は?自分のことなにっぽいと思う?」
「えー?自分じゃわかんないよ」
黙り込んで、考える。もう昼休みは残り少ないが、誰もが真剣に考えているのは勿論部活関係のことではない。最初は難色を示していた花井も、今は真剣に、女性キャラを思い浮かべては消している。サツキのような気もするが、なんか違う。キキではないし、シータや千尋といった感じでもない。本人は雫を希望したが、あえなく却下された。皆、悩む悩む。いつも賑やかな野球部がいったいどうしてしまったのか、と7組のクラスメイトが不安になるほど真剣に悩むが、なかなかしっくりこない。
予鈴が鳴る。栄口が名残惜しそうに弁当箱を片付ける。それぞれ悩みながら授業の用意をしようと立ち上がったとき、廊下をかけてきたのはメイ。ではなく、田島だった。
「花井!英語!英語のノート貸して!!」
「おー…」
言われるまま渡そうとする花井を、阿部が制止する。これが欲しければ篠岡はジブリキャラでいうと誰か、みんなが納得するような理由をつけて言ってみろ、と意地悪く笑う姿はさながらムスカ大佐のようであった。栄口が手を止める、水谷と花井が見守るなか、英語のノートがどうしても欲しい田島は、僅かに緊張して立っている篠岡を正面から見据え、頭のてっぺんからつま先まで一通り見ると、にっこり笑った。
「ハク!…はい花井、答えたからノート!」
「お、おう…」
「待て花井!田島、なんでハクなんだよ?あいつ男だぞ?なんでよりによってハクだよ」
どうやら本当に急いでいるようで、田島は焦れたように顔を顰めた。そして、理由が分からない阿部をはじめとする全員を見渡して、それが模範解答であるかのようにきっぱり、阿部がいうところの”皆が納得する”理由を言ってのけた。
「おにぎり、天才的にうまいから!」
言い終わるやいなや花井の手からノートを奪って田島は9組へ戻ってしまった。水谷がちいさく呟く。
なんか、惚れそう。誰も何も言わなかったが、皆内心では大きく頷いていた。天才的な野球センスを持つ田島は、無意味に、こんなところでも才能を発揮してくれた。その日の練習で出された田島のおにぎりは白だったけれど、皆より一回り大きかった。
2008/07/24『ジ●リがいっぱいコレクション』
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