きつめの口調で名前を呼ばれたのが丁度兄貴の部屋のヤンマガを拝借したところだったからオレは全身全霊で驚いた。冗談でなく体がはねた。幸い、今家に居るのは自分と4つ上の兄だけなので誰にも見られていない。ほっと胸を撫で下ろすと再びきつい声で。こーすけ!何度も呼ばせんな!
声のするほう、つまり玄関のほうに向かう途中で兄貴とすれ違う。一回で返事しろ、と若干キレ気味な兄貴のデコピンをまともに額に受けて、けれど悪態をつくまえにヤニ臭い息を浴びせられた。おまえにお客さん。
「……は?…てかタバコは換気扇の下で吸えっつってんだろ!」
「うっせーンなこといってっとヤンマガかさねーぞ。つか客待たせんな」
軽く叩かれた頭をさすりながら玄関へ向かうと、すこし驚いた顔をした阿部が立っていて、オレはかなり驚いた。なんとなく、持っていたヤンマガを後ろに隠す。ていうか阿部はどうしてオレの家知ってんだよ、と考えて、そういえば去年のいつだかの父母会の会場がうちだったことを思い出した。
オレがデコピンされたり小突かれたりしたのはたぶん見えてなかっただろうけど、おそらく、というか確実に声は聞こえていたわけで、正直かなり恥ずかしい。
「兄ちゃん?」
「……おー。てかどうしたよ」
「や、とりあえず泉には言っておこうと思って……」
結構深刻な顔でそういうものだからオレは阿部がまたなにか大きな怪我でもしたんじゃないかと思っておそるおそる、阿部を上から下まで見てみたけれど全然元気そうだった。じゃあもしかして転校でもするのか、と一瞬焦ったけど高校って多分そんな簡単に転校できないはずだし、よくよく考えてみると阿部がオレら(というか三橋)を置いて転校するなんてありえない話だ。
「なんだよ?」
「……進路。」
「……あー、へー、決まったんだ」
「うん」
「で?」
阿部は試合のときみたいに真剣な表情だった。もしかしたら、オレに一番に報告するのかもしれない。だとしたらなんかプレッシャーだ。だって阿部はオレに進路を言うことで決意を固めるつもりかもしれない。まてよ?だとしたらオレは阿部に利用されてるってコトか?わかんなくなってきた。てかどうでもいっか?や、よくないか?うん、よくないな。だってもしここでオレが不適切な対応をしちまったらもしかしたら引退するまでローテンションなままになるかもしれなくね?や、それはないか。あ、やべ、オレ今結構焦ってる。
「オレさ、よ……」
「待て!!」
「……なに」
「いいんだな?」
何が「いい」のか自分でも分からないままに確認すると、言葉を遮られて驚いたのか、タレ目をまんまるにしていた阿部は、けれど、オレの言わんとしていたことがなんとなく分かったようで(このへん、2年とすこしの付き合いの成果だと思う)口を真一文字に結んでおおきく頷いた。
「よし、言え」
「…オレ、四大いくわ」
「そうか。そうだな、それがいいと思うわ」
「なんで?」
「なんでって…なんとなく」
「そっか」
「行きたいとことか、決めてんの?」
「まあ一応」
「へぇ、どこ?」
「▲▲大」
「……へえ」
四大に進むつもりが無かったオレでも知っている大学名だった。まあこのあたりでは有名な大学ではあるけど、それにしてもオレが覚えてるなんて珍しい。
「▲▲っつったら、経済とか結構上の学校じゃん。てか理工はかなりすげーよな。で、阿部は当然理工なわけだ。…あぁ?じゃ、お前、大学いったら野球やめんの?あそこ強くないだろ?」
「ああ、でもウチみたいにどんどん強くしていくほうが楽しいだろ?」
そう言った阿部の声が、誰かの声と被る。
妙なもやもやを抱えながら、でもオレはとりあえず阿部に笑いかけた。
「そのまえに甲子園!だろ?」
「当然。……あ、じゃオレそろそろ行くわ。悪ぃな、突然お邪魔して」
「いいよ。…わざわざ報告さんきゅ。がんばれよ、」
「おう、お前もな」
「じゃ、朝練でー」
「うーい」
まるで玄関のドアが閉まった音がそうさせたように、オレの脳は急激に覚醒した。慌ててドアを開き、阿部を呼び止める。驚いて振り向いた捕手に、オレは腹からの声で。
「▲▲って、水谷も目指してるとこじゃん!」
それを聞いた阿部の、もう本当に、この上なく嫌そうな表情ときたら、思わず水谷に同情したくなるほどのものだった。
2008/06/13『Goodbye Mr Low Power!!』
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