コンラートの詰めの甘いところは、その気になれば非常に高性能な罠を仕掛けることが可能なのにもかかわらず、いつもひとつだけ逃げ道を用意してあるところだ。彼が巧妙に張り巡らす糸に、ユーリは知らず触れてしまう。自らの行動とコンラートの誘導によってその糸は緩いまま、けれど確実に魔王の四肢や首を絞めていくのだけれど、ぎりぎりのところで彼は自ら糸を断ち切ってしまい、ユーリはなにも知らないまま、糸を身体に巻きつけたまま、明るい世界へ戻っていく。それを唯、見送るだけの毎日を無意味に繰り返している。
それはいつだって生ぬるい部屋に敷き詰められている。
大切ならば箱に入れて城の奥にしまっておけばいい。いつだったかグリエが言っていたことばをコンラートは最近よく思い出す。それが出来たらどんなに良いだろうか、と考えてしまう自分が居ることに彼は気づいていた。けれど同時に、そんな願望を持つ時点で己が陛下の傍らに立つ資格がないことも自覚していた。だからいつも、ぎりぎりのところで完璧でダジャレだけが壊滅的に寒い名付け親に戻ろうとする。今まではそれでよかった。けれどこれからはどうなるかわからない。ユーリは変わらず、末弟の寝相と鼾に負けてはこの部屋に訪れる。出逢った頃は”信頼できる名付け親”と認識されていたはずだが、正直なところ、今自分がユーリにどう思われているのか、コンラートには分からなかった。今までどおり”名付け親”かもしれない。けれど意外に聡い彼のことだからもしかしたらコンラートの想いを察して、その上で訪れているのかもしれない。ならば動くべきは自分なのだが、けれどもしかしたらコンラートの思い過ごしで、実はやはりユーリは彼のことを名付け親としてしかみていないのかもしれない。結局のところ、ひととひととは互いに言葉を交わさなければ分かり合えない生き物なのだ。けれど、コンラートもユーリも、女性論を語ることはあっても、直接的な話はしない。そういう方向に話が向かないように、コンラートはいつも細心の注意を払っていた。他人に感情を読ませないことは得意だけれど、ユーリを前にしていつまでも隠し通せる自信はない。
いつも以上に心細いのはおそらく、ユーリが地球に戻る日が近づいているからだろう。コンラートは子どものような不安をいつまでも消すことが出来ずにいる自分をちいさく嘲笑った。
思春期の若者のように悶々としながら、昂った気持ちを落ち着かせるためにコンラートは浴室に向かった。しばらくして部屋に戻ってみると、寝巻き姿の魔王が申し訳なさそうに立っていて、水を浴びたばかりだというのに冷や汗が背を伝った。ユーリはやはり、ひどく申し訳なさそうに手を合わせた。
「ごめん、こっちで寝ていいかな……」
「俺は、ユーリにとってなんですか?」
止めようと思うまもなく出てしまった言葉に、見上げる漆黒の瞳が大きく揺れた。コンラートの糸が絡まりつつあることに、ユーリは確実に気づいているけれど、でもなにも言わない。こんなはずじゃなかった。自分は唯、名付け親の顔でひとこと、構いませんよ、と笑えばよかったのだ。けれど勿論もう遅い。絡まったまま動けない獲物をどうすべきか迷うまま、コンラートは自分の手のなかにある糸を弄んだ。
2008/07/30