さようならお元気で/ドラマティック・トラジック/今は伝記のなかだけで/交わす無力/号令は運命を変える
それを負けとは認めない/まもるためにふりかざしたつるぎ/足跡はそこで途切れて/どうしてもいくというのなら
信じさせてよ/君の鼓動/其処に雨は降らない/あなたが戦う意味/そして/生きていてよどこかで


イクサ:byラストレターの燃えた日































さようならお元気で

廃墟と化した教会がいかにも俺達らしい、とそいつは笑った。いや、笑ったような声が聞こえた、というのが正しいだろう。実際のところ、そいつのひどい色をした顔は苦痛に歪み、息は荒い。止め処なく流れ出る紅が体温を容赦なく奪うから、そいつは震えていた。にもかかわらず、そいつはおどける。ばっさりと斬られた胸を、壊れ落ちた屋根の上からの月光に晒して仰向けになった。そして今度は歯を見せて、俺にもわかるくらいに綺麗に笑った。細められた瞳の色が曇った。

「こーやって…、下から見ても、さ…下着、は…見えないな」
「……丈が長いからな」

いかにも“らしい”品の無い冗談に俺も笑ってしまったけれど、そいつの頭上のひび割れた聖母は、微笑みさえしない。

































ドラマティック・トラジック

目の前の殺戮という喜劇を、みつめる。あちこちからあがる悲鳴、爆音、生暖かい風にのってくる、イキモノの焼ける臭い。全てを唯みつめ、記録した。師である彼がそうしたように、他の誰にもわからない言葉で歴史を紡ぐ。静かに繰り返す記録のあいま、ふと脳裏を過ぎるのは此処ではない暖かな場所、柔らかな微笑み、つかのまの平穏、それと、さらさらと流れ落ちる、夜の色をした長髪。

(あいつら、喧嘩してねーかな)

過ぎるはずのそれが大きくなり、乾いた心に僅かな光と、その何倍もの闇を刻み込んだ。逃げ惑う、嘗ての仲間。ここにエクソシストはいない。あいつらも、あいつもいない。

「……火判」

立ち昇る火柱から風とともに流れる仲間の焼け落ちる臭いで、脳裏、鮮やかに蘇ったあの夜の香りをかき消した。


































今は伝記のなかだけで

酷い雨の日だったのを、今でも確り覚えている。
初対面にもかかわらず馴れ馴れしいことこの上ない煩わしい存在は、まるで俺が何も知らない子どもであるかのような態度で接してくる。だから言ってやったんだ。意識して、威圧的な、しかし冷ややかな声色で、見下すように言ってやったんだ。

『俺がお前の胡散臭い立場を知らないとでも思ってんのか』

そいつの貼り付けたような笑顔が一瞬凍りついて、そのときにみた何の感情もない表情が、俺の知っている名前を持つそいつではない、本当のそいつだったのだと今、そう思う。

しかしそいつの初対面の印象が悪かった最悪な出来事はこの後だった。図星をつかれて内心焦っているに違いないのに、急に、先ほどとは質の違うにこやかな、至って紳士的な微笑を浮かべ、残念ながら俺より声は高かったけれど、それでも今思うと、それは睦言をほざくときと同じトーンで。

『あんたとはうまくやっていけそうだ』

その当時からそいつのほうが長身だったことが悔やまれてならない。


































交わす無力

東の空が白む頃、そっとベッドから抜け出す。
必要最低限のものしか置いていない部屋の角に無造作に脱ぎ捨てていた服を着ながらまだ眠るそのひとをみつめた。いとおしいと、そう思う。いつまでもベッドのなかで一緒に居たい。ゆるされるのなら親離れできない子どものように、駄々を捏ねてみたいと思う。

不意に、彼の唯一の私物といってもいい、例の蓮が目に入る。俺の知らない彼の過去。彼を縛り付ける、呪縛のようなそれ。嫉妬なんかしないといえばそれは嘘になるけれど、でも嫉みよりも感謝のほうがつよい。あの花があるから彼は生きている。あの花への執着のために、無様に何度も、生にしがみついていてくれる。

だから安心だった。俺が任務に行っている間、もし彼の身に災いがふりかかろうとも、彼の梵字と、彼の生への貪欲な執着が、彼を決して死なせはしないから。だから今日も、安心して任務へ向かうことができる。

「じゃ、行ってくるさ」
「……ああ」

目は閉じたまま、シーツに包まったまま、まだ殆ど夢の世界に留まっている彼は、無意識なのかなんなのか、この瞬間だけは確かな返事を呉れる。それだけで満たされる。でもユウ、仮に。

(仮に俺が最後の『行ってきます』を言ったとしても)

お前は同じように寝ぼけた声を呉れるだろうか。

































号令は運命を変える

その、どこか現実離れした空間が不思議と嫌いではなかった。
唯、アクマたちが俺に向ける、嘲りと興味と、あと若干の侮蔑が込められている視線はあまり好ましくは思えなかった。教団にいるときは控えていた煙草も、今は吸っている。再びフィルターに触れたときは、煙いだの臭いだの物凄い勢いで叱咤する存在がいないことに違和感と虚しさを感じていたけれど、今はもうそれを感じないことが当然のようになってしまっていた。

「気分はどうだ、少年?」
「……ふつうさ」
「そっか」

そりゃーよかった、と唯の人間のように振舞うそいつは狂気を裏に秘めている。俺はすることを拒否した、俺には出来なかった裏表の使い分けを見事にやってのけるこの飄々とした男が、羨ましくて仕方ない。

































それを負けとは認めない

耳ざわりな音が部屋に反響する。
耳ざとくききつけた兄を筆頭に、彼らが慌しく駆けつけてくれた。私の指を包み込み、優しく撫でる兄を視界の端で捕らえながら、私は床に散らばった白いカップの破片から目を逸らせないでいた。胸がざわめく。なにか良くないことがおこる。父さんと母さんが死んだ日も、兄さんと離れ離れになった日も、アレンくんが危険なめに遭った日も、同じようなざわめきが爪先から脳天まで駆け抜けたのを覚えている。

「ごめんなさい。ううん、私は大丈夫」

言いながら、大丈夫でないことを私は知っている。兄に、自分に、私はまた小さな嘘をついた。大丈夫なはずはない。でもなにもないふりをするのは、私なりの優しさだと、利己的に考える。でもね、あなた達も十分エゴイストだわ。

わたしだけまた、おいていかれる。

空を覆った雲は、今にも泣き出しそうだ。

































まもるためにふりかざしたつるぎ

悲鳴とともにアクマが消える、その瞬間を見届けることなく次のアクマを切り裂いた。また悲鳴、その繰り返し。今日の全てがおわって、とっていた宿に戻る途中、ゴーレムがリナリーのそれと繋がる。まだ任務の話しかしていないが、これからでてくるであろう内容はいくら俺でも見当がつく。更に言うなら、リナリーが態々無線してくる理由も見当がついている。まったく、普段愛しているだの誰にも渡さないだの言っているわりに、コムイは妹をよく利用する。まあ、リナリーが進んで嫌な役を買って出ている感も否めないではないが。

『ベルリンのほう、アクマとノアの出現が確認されたんだって』

ノイズ交じりの報告は、俺には必要のないものだった。軽く交わして、通信を終える。ベルリンはここから随分遠い。俺が行く必要も、理由もない。ノアがいるところにあいつがいるとは限らないし、いたところで、俺には関係のないことだ。

今はおとなしく羽ばたいているだけのゴーレムが次に騒いだらそのときは、あいつがつくった新たな罪と業を知ることになる。その瞬間がすこしでも遠ざかればそれでいいと。

































足跡はそこで途切れて

「ああ」

いつもどおりの短い、眠気をたっぷり含んだ声だったから、彼は俺の最後に付け加えた一言を聞き逃したのかと思った。もう一度言うか言うまいか迷って、結局繰り返しはしなかった。

「……さっさといけよ」
「うん…行くけど…」

彼がシーツから顔だけ覗かせる。まだ薄暗くてよくは見えないが、泣いてはいないようで、複雑な気分になった。さっさといけよ、ともういちど言われる。俺はその、いかにも彼らしい尖った物言いがどうしようもなく愛おしくて、思わずもういちどベッドに戻ってしまいそうになるのを必死に堪えた。自分がいまつくることのできる一番いい笑顔を向けて、部屋をあとにする。

































どうしてもいくというのなら

ラビ。
自分の、ついさっきあの蓮のある部屋へ置いてきたつもりの、昔の名前を呼ばれて振り返ると、18回目の、彼からのキスに唇を塞がれた。啄ばむように、なんどもなんども重ねられる。なんだよ。なんでそんなこと…俺のキモチしってるくせに。理不尽な文句は喉の奥の、心臓の裏側かどこかへしまいこんで、次の瞬間には夢中で貪っていた。奥まで愛し合って、蕩けあって、シーツを纏っただけの彼の細い身体を、折れるほどに抱きしめて。彼の、艶やかな黒髪を掻き抱いて、なんどもなんども角度を変えて。なにもかもを忘れないように、なにもかもを忘れるように。愛おしさも切なさも、なにもかもを、彼の薄い唇においていけるように。

俺の体に縋りついていた、彼のほっそりとした指が離れ。
名残惜しげに、彼が唇を離すと同時に、俺は帰る場所を手放した。

ラビ、ともう一度呼ばれる。
今度は、それこそ滅多に見れない穏やかな笑顔で彼は、行けよ、と。

「でも多分、お前を殺すのは俺だ」

































信じさせてよ

もういちど、今度は慎重にカップを運ぶ。眠ってはいけないひとたちにはブラックを、眠ってもいい彼には、たっぷりのミルクといつも彼が好んで入れる個数の角砂糖を入れたものを渡す。休憩にしましょう。そう言ったときの皆の表情は穏やかで、今が戦争の最中であることを一瞬だけ忘れさせてくれた。あいている椅子に腰掛けると、隣に彼が腰を下ろす。

「大丈夫ですか、リナリー?」
「え?なにが?」
「顔色よくないですよ。さっきカップも落としたし…リナリーも疲れているんじゃないですか?休んだほうが…」
「そんなことないわ、大丈夫よ。でも…ありがとう」

彼はにっこりほほえんで、ふと、なにかに気付いたように窓の外を眺める。

「アレンくん?」
「…雨」
「え?」
「降りそうですね、雨」
「……そうね」

でもまだ雲は泣いていない。
あなたとわたし、どちらが先に泣き出すか勝負しましょうか。

































君の鼓動

わき腹を伝い、腐りかけた床を徐々に染めていく血を、ラビは触って微笑んだ。俺の血も赤い。当然だろう、と嘲笑うとそりゃそうだな、と返される。無駄な会話だ。言いたいことも、言わなければならなかったこともたくさん在ったはずなのに、なのにどうして今なにも言うことが出来ないのだろう。

月の光が弱くなった。

何も言わず、俺達は恐らく最後の、同じときを過ごす。こんなはずではなかった、と何かが叫んでいるのを冷静に宥める自分がいる。こういう結果を望んだのは、俺じゃないか。でも、

「…なんでだろうな」
「……さあ」

俺達が過ごしてきた僅かな時間にミスはなかった。偶然に偶然が重なって、それはいつしか運命というものになって今目の前に横たわっている。これが正しい結末だと、頭の、どこか冷めた部分は確り理解していた。でも何かが違う。

「なんでだ…?」
「ユウ、」

本当に久しぶりにこの声で名前を呼ばれて、体がこわばった。でも俺はラビと呼び返すことはできなかった。こいつが生きてきた時間で恐らく、ラビという名は一番つらい名だったろうから。

「なんだ」
「なんでか、の答えは…、俺とお前のなかにある、だ…ろ」

ああ、まったく、そのとおりだ。

































  

其処に雨は降らない

「…俺は、謝らねェぞ」

薄雲が月にかかり、教会を照らす光も弱くなる。闇というには明るすぎて、光というには弱弱しい空間で、ラビが喉で笑ったのを感じた。

「俺も、謝んねーさ」

どこまでも頑固なのはふたりとも、出会った頃から変わらない。それが原因で衝突したことも一度や二度ではなかった。しかし残念なことにあまり覚えていない。いや、残念というわけではないけれど。

「答えは…お前の言うとおり、俺とお前のなかに、確かにあるんだろうけど。…でも理解できても納得はできない…なあ、なんでこうなった?」

返事はなかった。なにかが吸い込まれて、もどってこない。空気の流れが変わって、俺は薄暗い闇の中、自分の存在が揺らぐのを感じた。

「なあ、なんでだよ…ラビ…」

触れた頬にぽつぽつと雨が降り出す。まるで泣いているようだと、らしくないことを考えた。屋根にあいた穴からそれは、ラビにも俺にも等しく降り注いだ。最悪だった初対面も雨だったことを、こいつは覚えていただろうか。

みてるこちらが腹立たしくなるような、初めてみるひどく穏やかな表情で、しかしラビは何も言わない。これはお前も望んだ結末だったのか?無駄な会話をする暇があったのならば尋ねればよかった、と今更悔やむ。

もういいから、お前は眠れ。
この雨で体をきれいにして、お前がいくそこにはきっと雨雲なんかないだろうから。お前の嫌いな雨は、降らないから。
































あなたが戦う意味

彼らの恋路において同性であるということは大した障害ではないように思う。すこし離れた場所から見ている限り、彼らは結婚という、おおかたの相思相愛なふたりがたどり着くであろう終着点を目指しているわけではないし、お互いを束縛しあうつもりもないようだ。だがしかし、表面からは見えない、ひょっとすると本人も与り知らぬ精神の根底、無意識の部分には、細胞単位で繋がっているような、究極の依存があるようにみえる。利己的で滑稽で生ぬるいその無意識の依存は本人の知らないうちに心を蝕み、崩壊させる。やっかいなそれに足元をすくわれながらも懸命に私情と使命のあいだで揺れ動く姿は綺麗だと素直に思える。

人間はかなしい。だからこそ美しい。人間であって人間でない俺にとって、あまりに人間らしい彼と彼は憧れなのだ。

カードのなかでせっせと掃除をする奴を眺めながら煙草をくわえた。
それにしても、まさかああいう終わり方を迎えるとは。

「…青春だなァ」
































そして

我侭だということは十分に自覚しているけれど、それでも欲しいものは欲しいし、一度手に入れたものは手放したくないのだ。それが初めての、仲間と呼べる存在だったら尚更。

ちょっと用事があるから行ってくる。神田はそう言って、門をくぐりぬけていった。その日も丁度、雨の降り出しそうな天気で、そしてその日以来彼は戻ってこない。もう彼が、彼らがいたことが夢だったかのように、ここには彼らのいない世界がある。彼らが喧嘩をしない、彼らが笑いあうことのない世界が、もうあるのに。それなのにわたしはまだ、まるで兄弟のように接してくれたあのふたりを待っている。待っていることでなんとか、昔の世界を維持しようとしている。

降ってきたね、という兄の耳に心地よい声に窓を振り返ると、隣に立っていた彼が呟いた。なんだか、嫌な雨ですね。知っているの?と尋ねそうになるのをなんとか堪えた。わたしは泣き出した空を見上げる。ねえ、もしあのとき。

(もしあのときわたしがひとこと行かないで、と言っていたら貴方は。)

静かに空と大地を繋ぐ雨が、わたしの小さな世界の大きな崩壊を知らせた。
わたしは神様じゃないから、世界を思い通りには出来ないわ。

































痙攣する身体を抑える術は知らず、俺は唯無様に弱っていく。随分前からもうなにもみえていないから仮にマリアの服の丈が短くても俺にはどうしようもない。この終わり方は実に俺の理想に適ったものだったけれど、こういうカッコ悪いところは出来ればお前にはみてもらいたくなかった。

お前にみてもらいたいのはもっと広い、俺のいない世界。
世界は本当は命のように綺麗で、命のように儚い。醜くも美しいそれを、目を背けずにお前は誰かとみるべきなんだ。だから。だから、

生きていてよどこかで

空気が変わって、もうすぐ雨が降り出すことを知った。身体の芯までびしょ濡れになった、前も見えないような激しい雨の日が俺の人生を変えたことを、きっとお前は知らないだろう。というかたぶん、あの日が雨だったことをお前は覚えていないだろう。構わない。覚えていなくて良いから。何もかもわすれて、暖かい日差しを浴びて、俺ではない誰かと