「嫌いだよ」

俯き加減で呟いた後、慌てて口を閉じてももう遅い。声は空気を伝い、相手の耳に確りと届いたはずだ。前を歩く足音が止り、相手が振り返る気配を全身に感じる。顔を上げるのが怖かった。相手がどんな顔をしているか、容易に想像できた。

幼い頃からそうだった。
自分は酷く不器用で、捻くれていて、感情を上手くコントロールできなくて、いつも無愛想にしか出来ない。だから同級生や委員の部下は居ても、友達は今も昔も、ひとりも居ない。それを寂しいと思ったことも無かったし、友達がほしいと思ったことも無かった。
だけど、なんの前触れも無く現れたこの男は、今まで接してきた誰よりも馴れ馴れしくて、誰よりも柔らかい雰囲気を持つ男だった。だから、そんな存在に初めて出逢ってしまったから如何対応すればいいのかわからなくて、ただひたすら振り回されるしかなくて。そういうのは自分の性格に合っていないから嫌だった。自分が自分でなくなってしまうような、自分を否定されてしまうような気がして、この男を恐れ続けていることを自覚していた。
ディーノとかいうこの男は、嵐のように人の心を乱していくのに自分は平気な顔をして、それがとてもズルイと思う。人の心を傷つけることなく奥まで入り込む術を知っているこの男に嫉妬しているかもしれない。なんにせよ、この男の存在が怖くて仕方ないのだ。

「……って言ったら……どうする…」

思い切って顔を上げると、男は笑っていた。何もかもを照らし出すような微笑を受けた自分はどうなってしまうのか、予想がつかなくて不安になる。

「なに恭弥、オレのことキライなの?」
「……べつに」

そう、別に嫌いではないのだ。
ただ、好きではないだけ。よくわからない存在が、怖いだけ。

「キライでもいいぜ。」
「なんで…?」

絞り出した声は自分でも驚くほどの泣き声で、恥ずかしさを通り越して本当に泣きたくなった。この男の前だと、自分はどうにもおかしくなる。この男のせいで、自分がなくなってしまう。

近付いてくるディーノに軽く腕を引かれ、そのまま抱きしめられるかたちになった。
太陽の匂いと、暖かい体温と、規則正しい鼓動をこんなにも間近で感じるのは初めてで、どうしようもない程不安なのに、それと同じくらい安心している自分が居る。この男と同じくらい、自分が解らない。

「今は、オレのことキライでもいい」
「なにを……」

優しくしないで。
こわいから。

こんなの、
こんなに弱いの、僕じゃない。

「お前はオレのこと、好きになるよ」
「調子に……乗るなよ……」
「勝算はあるんだ」

泣きじゃくる子供をあやすようになんども背を撫でられて、怖さが薄れる。抱きしめる腕から体温が移って、身体が暖かくなる。鼓動は耳に心地よくて、懐かしい記憶さえ蘇る。子供のように泣けない僕は、ただ抱きしめられて何も返さずに。

「……嫌いだよ」

言っても今は大丈夫だから。