態々持参したノートパソコンと携帯を並べたデスクの向こう側に居る彼はやはり、マフィアのボスなのだ、と当たり前といえば当たり前なことをぼんやりと思う。険しい表情、モニタに向けられた射抜くような眼光は、自分に向けるそれとは対極に位置するものだった。恭弥の前では吸わないなどと馬鹿っぽく言っていた煙草も、もう残り数本で一箱開ける程で、時折聞こえる舌打ちやため息から彼が相当苛立っていることを知る。そんなに忙しいのなら態々逢わなくてもいいのに(しかもホテルをワンフロア貸しきって。偶に、彼の金銭感覚は壊れているんじゃないかと思う。金銭感覚というか、金の使い方。)と思わないこともないが、それを口にして本当に逢いに来てくれなくなったら困る(というかムッとする)ので何も言わず、デスクの傍のソファに腰掛けて傍観に徹しているわけだ。こっそりとついたため息がディーノのそれと重なって、苦笑してしまったがディーノは気付いていない。それほどまでに真剣なのだろう。

「ねえ、」
「んー?」

話しかけても返ってくるのは生返事だけで、正直、当然のことながらおもしろくはない。
もしこの部屋が窓なしのボロいアパートなら「煙草が煙たい」といって作業を中断させることが出来たかもしれないけれど、生憎此処は某有名ホテルのスィート。空調設備は完璧で、今腰掛けているソファにさえ、文句のつけようが無い。また漏れたため息は、今度は重なることなく、高性能な空気清浄機へと昇っていく。仕舞いには誰かと連絡を取って誰が死んだだの誰を殺すだの、あまり平和的ではない会話までしだすのだから始末におけない。ディーノの口から「殺せ」とか、そういう言葉は出てきて欲しくない。というのはただの我侭なのだろうけれど、せめて同じ空間で同じ時間を共有している間だけは、いつもの、へらへらした変態でいて欲しいのだ。いや、決して変態好きというわけではないけれど。

「お前がやれ。不平がでたら『跳ね馬』の名を使ってもいい」

こういう、彼の立場を思い知らされる瞬間、どうにも居心地が悪くなる。
それは彼の数少ない友達も同じようで、デスクの上で眠っていたエンツィオはボトリと床に落ちると、のそのそとこちらに向かってきた。その眼は明らかに退屈を訴えていて、今の自分もこれと同じ目をしているのだろうか、と、すこし嫌な気分になった。足元まで這って来た亀を拾い上げ、目線まで持ち上げる。

「退屈だね」
「…………。」

返事は無いのは当然だが、ここでエンツィオが「そうだな」とでもいえば最高の退屈しのぎになっただろうと思うと、少し残念だった。そのまま持ち上げていても腕が疲れるだけなので、隣に座らせる。また暇になってディーノをみると、やはり眉間に皺を寄せたままコーヒーを啜っている。喉が渇いた、と先程ひどく偉そうに言ったので腹いせに無糖をだしてやったのだが、あまり効果は無いようだ。普段は馬鹿みたいに砂糖入れるくせに。カップの持ち方もどこか優雅で腹が立つ。幼い頃の話は聞いたことが無かったけれど、ひょっとして育ちが良かったりするのだろうか。そういえば、部下が傍に居るときの彼のテーブルマナーは完璧だ。今度聞いてみよう。ディーノのすらりと長い指がキーボードから再びカップへと伸びて、口に運ぶ。しかし唇と触れることなく、元の位置に戻された。

「恭弥、悪い。コーヒーおかわり」

こちらをちらりとも見ようとはせず、空になったカップを軽く持ち上げる。まったく、何様のつもりなのだろう。片手で器用にタイピングする様さえ僕の苛立ちを煽るには最高の演出だった。

「恭弥」

苛立ちを込めた声で呼ぶくせに視線がモニタから離れないというのは些か、いや、結構本気で腹が立つ。それでも帰らない自分はなかなか根気強いと思う。

「恭弥、コーヒー。………聞いてんのか、恭弥?」

相変わら視線を寄こさない彼の命令に従う筋合いは無い。
というかなにか、彼は今本国の自室にでも居る気になっているのか。だとしたらそれは大きな間違いだ。今、彼が居るのは彼の国とは遠く離れた日本の、ホテルの一室で、一緒に居るのは部下でもなんでもなく、この僕だということを、知らせてやらなければならないだろう。

「おい……」
「僕に口を利いて欲しいんだったら、」

彼はまだパソコンを睨んでて。
僕の機嫌は最高に最悪で、隣でいつの間にか眠っていたエンツィオも眼を覚ますほどの緊張感が部屋に漂う。漂わせているのは自分だと思うと、すこしだけ清々しい気分になった。

「……僕の目を見て喋れよ」

ディーノの顔がやっとあがって、目が合った瞬間、彼を取り巻いてた雰囲気が少しだけ緩んで、すぐに申し訳なさそうな表情になった。立ち上がって、近付いてくる。きっとキスするつもりだ。でもキスだけじゃ許してあげない。絶対に許すものか。