周りの音も景色もみんな曖昧なものになって、それと反比例するように自分の存在が確かなものになっていくのが解った。先程まで気にも留めなかった傷が痛み出し、荒くなった息遣いもまだ生命を刻む鼓動の音も急に存在を主張しだす。見えていた周りの状況のかわりに自分の状況が徐々に輪郭を取り戻していく様子がすこし、面白く思えた。

気を抜いたわけではないけれど突然脚の力が抜け、跪いてしまった。瞬間、なんだか全てがどうでもよくなったような気がして、そのまま仰向けに倒れる。こんなに徹底的な負けを経験したのは初めてかもしれない、とぼんやり思う。肉体的ではない、精神的な、圧倒的な敗北。

自分の存在意義はこのときのために在って、そのための今までだったというのにそれはあっけなく終焉を迎えて。情けないという気持ちよりも口惜しさのほうが大きかった。積み上げてきたものがこんなにも簡単に破壊されたということが口惜しくて、恐ろしくてならなかった。一方で、そんな自分の、人生という長すぎる喜劇を笑いながら眺めている自分もいるように思う。随分長い間、待たされた。幕が開いたときは終わりのことなんて予想もつかないでいたのに、いつのまにか解っていた。今日という日がくるということを。自分がどうしようもなくその終わり方を望んでいたことを。演目の終わりに登場するのはきっと。ほら、きっと。

煙と砂埃、人とアクマの叫びは遠く小さく、脳を直接揺さぶる程大きく聞こえるのは砂を噛んだブーツの、こちらに一歩進んでくるたびに聞こえる音だけ。やがて音ははっきりとした存在として目の前に停止した。顔だけをそちらに向けても、そのブーツの持ち主の顔はみえない。逆光だと、最初は思ったけれどそんなに日が照っているわけではない。それ以前に今が昼なのか夜なのかさえわからない。喉が酷く渇いているのは、きっとずっと戦っていたからだろう。

「あ……目……ああ、そうか」

見えないのは目がその役目を終えようとしているからだと、やっと理解した。無駄に言葉にしてみたけれど、どうやら喉も相当キているらしい。ところで、それでは何故ブーツは確認できたのだろうか、ともう一度視線をそのひとの足元に戻してみたけれど、もうはっきりとは映らなかった。こうして馬鹿なことを考えているうちにも、俺の時間は崩れていく。

視力を失って変わりに研ぎ澄まされたのは聴力で。
そのおかげで、不躾にも頭の上で知らない言葉を紡いでいる声があの男の声だと知ることが出来た。初めて聞いた、歴史を描く声。ひどく甘やかな子守唄のようにとめどなく降り注ぐそれに身を任せ。

知らない言葉が、止んだ。
変わりに知っている国の言葉が聞こえた。英語だか日本語だかわからないけれど、キザなこいつのことだから日本語かもしれない。日本に愛着など微塵も無いのだけれど、むしろ、共に過ごした国のほうが愛おしく感じることさえあるのだけれど、ああ見えてあのまんま結構鈍感なこいつは、そんなこと気付かないだろう。先程とは微妙に違う声で紡がれる愛の調べ。反吐が出るほど甘ったるい言霊。そんなものはいらない。そんなものよりも、ほしいもんがあるんだよ、気付け馬鹿野郎。

「……おやすみ、ユウ。」



ほしいものはそんなことばじゃない。



溺れて眠る