「俺はお前に甘えてばかりだな」

眠っていたはずの恋人が、腕の中で呟いた。
部屋は暗いうえに本人は俯いていたから、くぐもって聞こえたが、たしかにそう言った。

「どーしたんさ?」

長期の任務が重なって、逢うのも抱くのも数年ぶりだった。
帰還したばかりで疲れているのは解っていたけれど、触れたい、抱きたい、という衝動は、それでもどうしても抑えることが出来なかった。ダメ元で誘ってみると驚くほど自然に腕の中に納まってくれたから、驚くと同時に、凄く嬉しかった。その反応に裏があることにも気付いていたけれど、それでも構わなかった。

「むかしからお前は優しすぎて、俺は甘えてばかりだ」

腕の中の存在は、そのとき確かに震えていた。
何に対しても挑む姿勢を崩したことの無いユウが、震えていた。何かに怯えるように、ひどくか細い声で何事かを呟いていた。それを聞き取ることは出来なかったけれど、少しでも安心してくれればいい、と抱きしめる腕に力を込めて、流れる黒髪にキスを落とした。

「ユウは甘えん坊で、我侭なのがいーの」

おどけて言ったつもりだったが、ユウの怯えが移ったのか、俺の声も震えていた。
ユウは少しだけ笑い声を洩らすと、ゆっくりと目を閉じる。暗くてよく見えなかったけれど、きっと涙が流れていたとおもう。頬に添えた手が温い何かで僅かに濡れた。

「ラビ……」
「んー?」
「ありがとう、な」

子供のように、しがみついて。
もう完璧に俯いていたから、俺からはユウのつむじしか見えなくて、でも、その声はさっきの声よりずっとはっきりしたものだった。物凄く震えていたけれど、でも俺の耳から脳天まで確り響いた。ユウの声は確かに届いた。

「なにさ、ユウちゃん。らしくなーい」
「……お前、もう気付いてるだろ。馬鹿」
「………『馬鹿』は余計さ」

気付いているとも。
誰よりも、きっと本人よりもユウの体のことは知っている。だから勿論、ユウの身体に傷が残っていることに気付いていた。だけど俺は、この無数の傷が何時どんな風にして出来たものかわからないから。だから俺は気に留めなかった。気付かないふりをしていたことに気付いたのは、ついさっきだった。

ねえ。
でも、ユウがまだいけるなら、俺もいけるから。

言わないで。
聞きたくないから。
お願いだから。
口を閉じて。
声を失って。

「ラビ、俺……」
「ユウ、もう寝よ。んで明日朝からどっか行こう。アレンとかリナリーとかも誘ってさ………何処がいい?あ、俺、この前美味いパスタ屋みつけてさー」

此処まで馬鹿か、と思う。
こんなふうにわざとらしくぺらぺら喋っては、“いかにも” を余計に強調させるだけだというのに。でも、ユウは黙って聞いてくれてるから、俺は馬鹿な話をしつづける。ネタがなくなるまで、睦言とは程遠い話を唯ひたすらに。俺が喋ってるうちに、今考えていることを忘れてくれたらいい、と思いながら。

でも遮られることの無い一方的な会話は、すぐに底が見えて、俺は自分の顔がどんどん曇っていくのをリアルに想像できた。

「で、……そーゆー感じで……だからパスタ。…ね。明日」
「ああ、わかった。………ラビ」
「あ、べつに蕎麦でもいーけど、でも外食もさ、たまにはいーじゃん?」
「ラビ」
「………ッ、なに」

だから、口を閉じろって。
そんな目でこっちを見るなよ。
何も言うな。眠ってしまえ。

顔を上げたユウは、涙で潤んだ目で一途に俺を見つめて。
動けなくなった俺に、静かな、耳になじんだ、心地のいい声で。
すこしだけ、微笑を湛えて。



「もう終わりだ、俺。」



今度は俺が俯く番だった。
ユウの肩に顔を埋めて、かっこわるいことこのうえないけど、嗚咽まで洩らして泣いた。
ユウは俺の髪をやさしく撫でてくれたけど、その細い指も、やっぱり震えていた。


しなやかな腕の祈り