決して自慢ではないが、幼い頃から努力をすることなく、優秀な餓鬼だった。
だから近所の人間には「ユウちゃんはなんでも出来てすごいわねぇ」と、よく言われたものだ。幼い頃は其れが嬉しくて、其の言葉をもらうたび、幸せだった。たとえ両親にどんなに邪険な扱いを受けようとも、自分は優秀で特別な存在なのだ、と思える、そういう言葉だった。


新記録を作ったのは、同じクラスの浮ついた奴だった。所謂、ムードメイカー。いつもクラスの中心で、素行は余りいいほうではないにもかかわらず、成績だけは抜群によかったので教師にも結構気に入られている。一時期、新米教師と空き教室でヤってたとかいう噂が流れてたこともある。いや、そんなことは今はどうでもいい。とにかく、バーの遥か上を、美しい弧を描いてあいつは舞った。飛び散る真珠のような汗と、何時に無く真剣なあいつの表情に、見とれていたのは確かだった。

「すげーな、ラビ!」
「新記録だぜ?新記録!」
「お前、陸部入れよ!」

賛美の言葉に囲まれてへらへらしているラビから少し離れたところで、以前の記録保持者、俺は無関心を決め込んでいた。

“努力しないで一番”で今まで生きてきたのだ。努力してまで一番をとる必要は無い。そう言い聞かせるが、真剣な面持ちで競技に取り組むあの表情と、新記録を創りだしたときのあの嬉しそうなあいつの表情が忘れられない。新記録を出したとき、俺もあんなふうに喜んでいただろうか。否、俺には、あんな達成感は無かった。

ちらりと本人に目をやると、今もまだ嬉しそうに騒いでいる。
あんなテンションはいらないが、あんなふうに喜べる性格は羨ましいと、そう思った。





授業が終わり、グラウンドに面した手洗い場で水を飲んでいると、後ろから背中を叩かれる。

「ゲホッ……てめェ、何しやがる!」

盛大に咽た俺を気遣うことなく、ラビは其れは其れは爽やかに笑ってみせた。体操着が濡れるのも構わず、手洗い場の淵に腰掛け、馴れ馴れしく話し出す。

「口惜しいだろ」
「あぁ?」
「俺、新記録。」
「………べつに」

態々自慢しに来るなんて嫌味な奴だ。
俺は無意識を装って、ラビに水を飛ばす。

「ちったー努力すれば?」
「……余計な世話だ」

会話しながら顔を洗うことなど出来ない。
仕方がないので蛇口を閉めた。

「お前さ、そんなんで楽しいわけ?」
「あ?」
「なにやっても無表情さ」
「ほっとけ」

全くもって鬱陶しい。
さっさと消えてくれることを願いながら、淡々と返答し続ける。

「ま、そんなとこも好きだけど」
「…………は?」

ひらひらと手を振る背中に怒声を飛ばす余裕は無く、ひとまずもう一度顔を洗おうと思う。別に顔が火照ったとかそういう理由じゃない。只もう一度洗いたかっただけ。顔に水をかけながら、次の体育は精一杯やってみようと思う。別にあいつに言われたから、とかじゃなくて、只、真剣にやってみたかっただけ。あいつの記録は俺のより10cmも高いけど、努力すれば超えられそうだ。

別にあいつと競うのが楽しみなわけじゃない。


只癪に障るから、跳ぶだけ。


走り高跳び