[ おおかみうさぎ ]




ふたりはすれ違う。
音も無く、無意識に、滑らかに。

でも、そのまま歩き続けることがどうしても出来なくて、同時に振り返ってしまう。ずれの無い動作、無駄に合ってしまった息に、ほら、もう静かに笑いあうしかない。
































息が上がる。
軋む骨を気にせず、寝返りを打って見上げた空は抜けるような蒼穹で。まるで莫迦にされているような気分になった。
口を開けば喉まで込み上げていた血が咳と一緒に溢れ出る。顎を滴り、首筋を流れ落ちる血は、いっそ綺麗なほど汚くて。

「もー・・・サイッアク」

自分はそろそろ死ぬのだろうが、走馬灯というものが未だ走らない。眼を閉じれば、見えるのは先程震えながら引き金を引いた探索部隊の下っ端の怯えきった顔だけ。あの顔が灼きついたまま死ぬのは、何とも不愉快なものだ。そう云えば以前、あいつとこんな話をしたかもしれない。してないかもしれないけれど。ラビの思考はえらく支離滅裂で、しかし、そんなことはどうでもよかった。

意識が朦朧として思考を巧く組み立てられない。まもなく死が訪れることは予想しているのに、何故か遠い他人事のように思えて実感が湧かなかった。唯、徐々に視界が暗く狭くなっていることだけは判っていて、死ぬのなら早く逝かせて欲しい、などと身の程知らずな考えが過ぎる。死までの、この苦痛な時間が数多の命を奪ってきた為に課せられた罰なのかもしれないというのに。












































死ぬのは、不思議と怖くない。













































「・・・・ユ、ウ?」
「ラビッ!?」

天使が迎えに来てくれたのだと、少し本気で思ってしまうほどに、その姿は神々しくて。眼が痛くなるほどに眩しすぎて、嬉しくて、涙が溢れた。

ユウの姿は、自分の作り出した幻想なのか、それとも本当に居るのか。それ以前に、自分の居る世界が現実なのかさえ、判らなかった。世界がひどく曖昧なものに思えた。無意識に口が動いて、こんな状況にもかかわらず、自分は何かをぺらぺらと喋っているらしい。ユウもそれに応えているようだが、自分が発した言葉の内容も、ユウが返した応えの意味も認識できなかった。それでも、この状況だけで満足だった。神様が仮に存在するのなら、感謝したい程に。

手が無意識に、ユウを求めた。
何もかも曖昧な世界の中で、この男の存在が現実であることを確かめたくて。この男を愛していたことが、確かなものだったのだと確信したくて。自分と嘗て仲間だった者の血に塗れた手が、力なく震えている。

無様でも良い。
なんでもいいから、触れて確かめたかった。
この世に存在した意味を、人を愛した事実を、確かめたかった。

力なく伸ばした手を、しっかりと握り締めてくれて、それだけで幸せになれた。掌から伝わる懐かしい温もり、指先から伝わる甘い鼓動が愛しくて、切なくて。










































死ぬのは、不思議と怖くない。
唯、怖いのは“大切な何か”を喪ってしまうこと。













































無言で見下ろす漆黒の瞳から伝わってくるのは慈悲でも哀れみでもなく、唯純粋な悲しみと愛しさだった。それだけで十分で。それ以上のものを求めたりはしないから、ずっと手を握り締めていて欲しい、と枯れた声で伝えた。自分でも聞き取れないほどの小さな、でも一番伝えたい唯一つの想いが、ユウに届いたかは判らないけれど。

「・・・あ」

彼が、泣いていた。
声を押し殺して、しかし抑えきれず、肩を揺らして大粒の涙を零しながら。フィルタがかかったようにぼやけた視界のなかで何故かユウの顔だけはっきりと見ることが出来て、何故かその声だけはっきりと鼓膜を振るわせた。聞こえるのは耳に馴染んだ悪態ばかりだけど。それでも、本当にたまらなく嬉しくて。


だから
――――――――


「ユウ・・・・」

何か、言いたいのに。
言いたくてどうしようもない程なのに。
愛しいという想いを伝える為の言葉を、見つけることがどうしても出来なくて。


愛しい人。
この世で一番綺麗で、純粋で、儚くて。
誰より幸せになって欲しいと願った、最初で最後の人なのに。

雪のように降り積もって、決して溶けることの無かったこの想いを、どう伝えれば良いのか判らなくて。目の前でしゃくり上げながら泣いている彼に、悪態をつき、それでも飽きることなく笑顔で接してくれた思い出の中の彼に。どう形にして伝えれば良いのか、まったく判らなくて。


「・・・・・・ユ・ウ・・」
「ンだよ・・・・ッ」


泣かないで、そう言いたいのに。
愛してるって抱きしめたいのに。

もう声は出なくて、身体は動かなくて。

朦朧とする意識のなか、もう見えない愛しい人に、ラビは静かに微笑んだ。上手く笑えたかは判らない。だがラビにとって至福の、これ以上無い幸せの表れだった。































遠くで、君の声が聞こえた、








































ような気がした。


























































流れに逆らうことなく身を任せ続けた臆病な自分の、唯一の光だった。間違いだらけで、嘘を塗り固めて創ってきた人生のなかで、君と過ごした日々だけが輝いていた。汚い嘘ばかりだったけれど、騙し続けてきたけれど、それでも、君を愛していたことだけは本当だから。





















もう、伝えることも叶わないけれど。
























呼吸が出来る場所は、君の傍らだけだった。































こんな僕を生かしてくれたのは、君だけだった。






























もう、何もかもが遅すぎるけれど。















































何時から間違えていたのかは、判らない。
何処を間違えたのかも、未だ判らない。

でも、出逢い方を間違えたとは、思っていない。








死ネタ…?
や、辛うじて生きています…よね?裏切り兎の最期の話です。
イラストはコマ吉さんがかいてくださいました。(サイトは閉鎖されました、お疲れ様です。ずっとだいすきです!)