警報が鳴り、程なく遮断機が下りて、人や車の動きが一斉に行儀よく停止する。いつもの街の、いつもの風景。人々の想いを無視して、一方的に通行を遮る、理不尽な流れ。


踏切が、苦手だった。
電車の流れが止まない限り、踏切の向こう側へはいけない。只、それだけのことに訳も無く腹が立った。たった2本の棒に、只長いだけの鉄の塊に、あっさりと否定される自分が、情けなく思えて仕方ないのだ。

だからいつも、踏切の手前50メートルほどになると無意味に緊張した。突然警報が鳴りはじめやしないか、と。急かすようなリズムと点滅する赤い光が、今来るのではないか、と。どうか、渡りきるまで鳴りませんように。あの2本の遮断機が、こちらとあちらを隔てることがありませんように。

曖昧さが、嫌いだった。
もう、友情などという言葉では片付けられないほどに膨らんだ気持ち。それを伝えることも出来ず、かといってこのままの状況を保つ気にもなれない。曖昧な繰り返しの日常の中、自分が絶望さえしたその曖昧さに、彼という存在がプラスされてから、もっとも曖昧になってしまったのは自分だった。あの男の優しさに素直になれないのは、その正体が偽りだと疑ってしまうから。自分の気持ちを気付かれ、関係が壊れてしまうことを恐れていたから。強がって、自分を護っていないと、弱い自分はすぐにでもあの腕の中に納まってしまいそうだったから。

油断すると全てを持っていかれてしまいそうで。
今まで積み上げてきた全てが、足元から崩れていきそうで。

身構えて、何があっても受け入れる準備をしながら、常に自分が負うダメージを最小限にとどめようとしている。必要以上近付かないでおこう、と、理性は警告しているのに、しかし本能がそれを聞かない。

「うぜェんだよ」

その一言で、彼がどれ程傷ついたのか十分判っているくせに。
その一言で、自分がどれ程馬鹿か、十分思い知ったはずなのに。



あれからラビとは逢っていない。

身を切るような風と迫る踏切の緊張に耐えながら、それでもゆっくりと歩く。
教室に置き去りにしたマフラーを取りに戻るか否か迷っているうちに、戻るには遠すぎる距離まで来てしまった。剥き出しの首を冷たい風が包み込む。束ねていない黒髪は風に弄ばれ、無様に舞っている。白い息と、必要以上に潤んだ瞳と、おそらく赤いであろう鼻の頭が神田の苛立ちと緊張を更に煽った。

踏切まであと5メートルというところで警報が鳴る。
同じように歩いていた数人から、非難の声やため息が漏れた。だがそれでも、無理にあちらに渡ろうとする人はいない。皆同じように悔やんで、同じように苛立っているが、それを回避しようとは思わないのだ。只、思うことは。

今日はついていないな。

ふと、踏切の向こう側に見慣れた背中を見つける。
馬鹿みたいに目立つ髪に、あの制服、歩き方、間違いない。

間違うはずが、ない。

たった数週間あっていなかっただけで、まるで別の世界に行ってしまったように思っていた自分が馬鹿らしくなる、間違えようの無い、現実。

「ラビ………?」

片方の遮断機がゆっくりと下りて、自分は如何すればいいのかわからない。
走り出そうか迷う、微妙な距離。今この遮断機を飛び越えれば、渡れるかもしれない。でも、でももし、間に合わなかったら?

こちらに気付かない背中はだんだん遠くなって、手が届かない。

遠すぎる。
間に合わない。
走れない。
………そうじゃない。

冷たすぎる臆病風に吹かれて、立ちすくんでいた自分はしかし、次の瞬間には走り出していた。勢いよく吸い込んだ、冷え切った空気が、容赦なく肺を痛めつける。だが、そんなことは気にしていなかった。只、逢いたかった。他の気持ちは、無かった。

「ラビ……ッ!」

街の真ん中で、必死になって叫んだ。
醜態を晒していることは理解していたが、どうでもよかった。

目の前で、無情にも遮断機が下りる。
頭上でけたたましく鳴り響く警報が煩い。
同じように点滅する赤い光が、無駄に目にしみた。


1分でもダイヤが乱れると踏切は意地を張って下り続ける。
上下3本以上もの電車が通過していくのを、神田は睨みつけていた。
次から次へと微妙な間隔で通過していく電車の、その本数だけ、苛立ちが募る。徐々に腹の底に蓄積されていく黒い塵のような不快感。それさえも気付かないふりをしてメタリックな尾を引きながら通行の邪魔をする電車。その立ち位置のおかげでまともにぶつけられる暴力的な風は、空気を捻じ曲げ、苛立ちを更に煽る。


やはり、今日はついていない。


けたたましい警報がぴたりと鳴り止み、遮断機が上がる。
動けないでいた人や車は再び息を吹き返し、また忙しなく動き出す。

そんななか、神田だけは動かなかった。電車が通過していたときと同じように、動けないでいた。只、一点を見つめて。

それを知ってか知らずか、向こう側から渡ってくる男はにこやかな笑みを湛えて。ぐるぐるに巻いていたマフラーを外すと、ゆっくりと神田に巻きつけて。

「呼んだだろ?」

届かなかったはずの声に対する返事が、やわらかく、やさしく返ってきた。
子供のように笑って手を差し出す男のマフラーは、持ち主の甘い匂いと暖かさに包まれていた。

言い知れぬ暖かさが、急速に広がっていく。

踏み切り