例えばミルクとか。
消費期限が切れたものであっても、変な臭いがしなければ飲んでしまう。人間なんてそんなものだ、その程度のものだ、と思う。消費期限も、結局は目安であって、タイムリミットというわけではない、その程度のものだと思っている。それは、いま隣を歩いている恋人にも言えることで。
「べつに底がみえたからって、焦ることないんさ」
「なんのはなしだ?」
「んー、独り言?」
「俺に訊くなよ………」
目安であって、リミットじゃあない。
たとえ一番信頼している医者があと3ヶ月と言ったとしても、それは目安だから。だから俺は、本人がそうであるように何も気にしない。そうして3ヶ月経ってもピンピンしてる恋人を目の前に絶句している医者に言ってやるんだ。
「どうだ、まいったか!」
「な、なにがだ!?」
「いんや、独り言」
「気でも触れたか?」
「ひでェさ」
お前馬鹿だろう、って子供みたいにニカッと笑う恋人は、とてもじゃないがもうすぐ死ぬ人間には見えなかった。
だから、大丈夫。
きっと、大丈夫。
でも、そうやって強がっていてもやっぱり何処かで不安に思っている自分がいて。でもそれを認めるわけにはいかなくて。如何したらいいかわからなくて、だから仕方なく曖昧な笑みを浮かべたら。
「気色悪ィ。何笑ってんだ」
「えっちなこと考えてたんさ」
「死ね。万回死ね。」
「でもさぁ、俺が死んだらユウ寂しくて死んじゃうっしょ?」
言ってすぐに後悔した。
慌てて隣を見ると先程までの笑顔は消えて、哀愁というかなんと云うか、切なげな雰囲気がユウを取り巻いていた。
「調子に乗ってんじゃねェよ」
「うん、ゴメン。調子のった」
「謝んな、馬鹿」
「うん……ユウ、」
「んだよ」
「手ぇ、繋ご」
差し出した手を無言で取ってくれる少し小さめの手は、刀を使っているのに肉刺ひとつ無い綺麗な手で、何故だか判らないけど何かがこみ上げてきて、強く強く握り締めた。
離れたくなかった。
手放したくなかった。
「……握りすぎ」
「このほうが暖かいっしょ?」
「変わんねェよ。寒ィ……」
「あ、そう」
確かに気温は低くて、風は身を切るように冷たい。
でもこの手を繋いでる限り、俺達は暖かいんだ、なんて。
馬鹿なことを考えてたり。
「あ。」
見事にハモって、目が合う。
結構間の抜けた顔を向けてくる恋人に向けている俺の顔もまた、間抜けた面なんだろうと思うと、結構笑えた。
「雪さ」
「だな」
はらはらと舞う粉雪は積もりそうも無くて、小さな結晶は道に落ちてすぐに水になった。それがなんだか命のようで。目にも留まらない速さで燃え尽きてしまう命のようで。すこし忘れかけていた感情をまた思い出した。それは、俺なんかが考えても如何にもならないこと。出逢った時から来ると判っていた、判りきっていたXデー。
女と間違えた初対面とか。
その胸の梵時もまとめて愛そうと決めた初めての夜とか。
護ろうって誓った戦場の真ん中とか。
出逢ってから今までのことが一瞬で思い出されて、それだけの時間を共有してきたことを改めて思い知らされて。それだけの時間を亡くしてしまうことの恐ろしさが迫ってきて。ちょっと泣きそうになった。
「なに百面相してんだ」
「別に………ってかユウ最近、言う事がいちいち爺くさいさ」
「……ほっとけ。」
その紋様に蝕まれて落とす命なら、いっそのこと俺が奪ってやろうか、なんて本気で考えたときも在った。でも。
「ユウ」
「ん」
「俺、ユウ好き」
「………そりゃーどーも」
でも今、幸せ共有している今、来るかどうかさえ定かでない “いつか” のことを考えるのは時間の無駄だから。だから今は、隣で照れくさそうな表情をしている恋人と同じように、何も考えないでいようとおもう。
粉雪は周りの音を消して、冬の騒がしい街を二人だけの空間にしてくれる。
その粋な計らいは今の俺にはいらないものだったけど。
「息、白いな」
「ん、ああ」
改めて吐き出した息は白い蒸気になって大気へ消えていく。
胸の底の靄も一緒に消えていくような錯覚を覚えるほどに、その様は潔くて。
「吐き出した息と一緒に、どっかに持っていってくれそうさ」
「………そうだな」
通じて欲しくなかった気持ちだけが通じて。
余計な以心伝心に、ものすごく腹が立った。
でもそれだけは隠し通したくて、俺は苦し紛れにユウの鼻の頭についた雪をそっと掃ってやった。
缶詰