その年のクリスマスの夜は、俺達にとって紛れもなく聖夜だった。
昨日から深々と降り続いている雪は今も止むことなくこの世界を白銀に染め上げている。その世界と同じか、あるいはそれ以上白い肌をした青年は、何時も以上に穏やかな笑顔を彼に向けた。それに気付いてそっと頬を撫でてやると嬉しそうに目を細める。外の笑い声がBGMのように流れる空間で、まるで自分達だけ違う世界に居るような錯覚を覚えながら、神田は呟いた。
「………賑やかだな」
「今日はクリスマスさ」
「ああ、もうそんな時期か」
ついこの間まで若草が清々しく香っていたというのに、気がつけばもう年が暮れる。自分の居ないところで時が過ぎていくのは面白くない。毎日のように部屋に訪れるラビから僅かな季節感は感じ取っているものの、やはり自分の目で見て自分の肌で感じたいと思うのは当然である。ラビもそのことを察して、春先には「中庭にでも出ようか」などと誘いをかけてきたが、車椅子で外に出るのが嫌だと渋ったのは誰でもない神田自身だった。くだらないプライドのために外に出る絶好のチャンスを逃したことは今更悔いても遅い。寒さが厳しくなってきた今、過保護なラビとその他の連中が外に連れ出してくれるわけはなかった。
身体を動かさないと、余計に気が滅入る。もう1年以上も続くこの状況に神田は苛立っていた。自分ひとりでは何も出来なくなってしまった貧弱な身体に。苛立ちを表すことさえ億劫に思ってしまう弱い精神に。今の彼にとっては全てが苛立ちの原因で、背の後ろに敷いて凭れ掛かっている枕さえ、憎らしかった。
其れをやわらげてくれるのが、目の前に居るこの男の存在だった。この男が部屋に入ってくるだけで雰囲気が変わる。苛立ちも忘れ、気分がよくなるのを、神田は自覚していた。
「大広間にでっかいツリー飾ってるさ」
「そうか」
「来年も飾るって言ってたから」
「そうか………」
「だから、一緒に見よう」
そのときの彼の笑顔は、何故だか頬が引きつるようなぎこちなさを残したものだった。その下手な演技に気がつかないはずはないのに、それでも神田は微笑み返してくれた。強く、美しく、柔らかい微笑が、ひどく、印象に残った。
「………そうだな」
微妙な沈黙が空間を占めるなか、少しでも近付こうと手を伸ばしたのはどちらからだったか。静かに、そっと触れ合った唇は、しかし深さを増すことはなく離れる。暫く無言で見つめあった後、ふと思い出したようにラビが口を開いた。
「何が欲しい?」
「…………は?」
「何か欲しいもんあったら言って」
神田は暫く思案していたが、やがて間の抜けた表情になった。
「なにもねぇな」
「……そっか」
本当は何もないはずない事を、二人とも知っていた。
でもそれは、求めて手に入るものではないから。手の届かない歯痒さに、神に遠く及ばぬ無力さに、只、絶望するだけだとわかっていた。だから、ラビは何も聞かないし、神田もそれ以上何も言わなかった。
「………俺は?」
「あ?」
「クリスマスプレゼント、俺。みたいな?」
「………ふざけてんのか?」
「大マジさぁ〜」
他愛のない会話が好きだった。
屈託のない笑顔はお互い、幼い頃と変わらず、只楽しかった。
ずっとこうしていたいと思わなかったことは一度もなかった。
「いいかもな」
「なにがさ?」
「プレゼント、お前。」
「………マジ?」
「ああ、」
最早、白というより透明といったほうが適当な肌。肌蹴た寝巻きの合間からむき出しになっている白い鎖骨に流れる漆黒の髪。天子と見紛うばかりの容姿をした男は、ラビの手を震える手で握り、その眼差しを独眼に向けて、真剣な表情で。それでも、泣いているような、かすれた声で。
「ずっと………一緒に居ろよ」
「………ユウ」
「ずっと、傍……居ろ……ッ」
「………うん。」
「約束しろ……」
「うん」
来年も10年後も、50年後も、一緒に居て、一緒にツリーを見て、また一緒に笑いあおう。縋るような視線をよこしていた神田は安堵の笑みを浮かべた。一筋の光が、彼の頬を伝う。ラビは其れを優しく拭うと、神田をそっと抱きしめた。壊れないように、消えてしまわないように。涙を見られないように。
神様お願い。
命を呉れとは言わないから、もう少しだけ時間を下さい。もう少し抱き合う時間を、もう少し分かり合う時間を、もう少し愛し合う時間を。
雪が降る夜、賑やかな場所からは遠く離れた小さな部屋で、お互いの鼓動と体温のみを感じながら、縋るように、祈るように、只々、思い続けた。
その年のクリスマスの夜は、紛れもなく聖夜だった。
『約束しろ……』
そのときの君の面影はまだ此処に在るのに。
今年のクリスマスは、空のベッドで何を抱きしめればいいの。いつかの