リナリーの淹れる紅茶は格別だ、と彼女の兄貴はよく言っていたが、まさにそうだと今なら思える。昔は只のシスコンだとばかり思っていて全く聞く耳を持たなかったことを少し悔やんでしまうほどに、彼女の淹れたアールグレイは格別だった。

「葉っぱがいいのよ」

頬を染めて彼女が笑う。笑った後、彼女は目を細めて遠くを眺めた。今はもう積み重ねることが出来ない実兄と過ごした日々へ、思いを馳せているのだろうか。

「同じ茶葉で俺が淹れても、こんな味にはならないさ」

一瞬、彼女の漆黒の瞳が俺のそれを捕らえ、またすぐに兄の思い出へと旅立った。少し笑って、しかし何処か哀しそうに彼女は言う。

「葉っぱが、いいのよ」


いい天気だ。
春の風は髪をもてあそびながら肌を撫でていく。少し低くなった空を自由に泳ぐ雲はとても白くて、鼻腔をくすぐる草花の匂いが気持ちいい。少し前なら考えられなかった安らぎが此処にはあった。テラスでティータイム。貴族にでもなったかのような錯覚さえ覚えさせられるこの空間は、『表の歴史には出ることのない、先の大戦』の英雄に与えられた特権のひとつだった。

与えられた当初は、こんなものを貰っても戦友は帰ってこないと嘆いていたが、今はこの空間が結構気に入っていたりするから、どうしようもない自分に苦笑さえ漏れる。

此処では時間さえゆっくりと過ぎていく。
だからかもしれない。何かから逃れるように急いで生きていたあの頃には想像もつかなかったようなことがひらめくようになった。其れらは非常に馬鹿げたもので。
冗談にもならないようなものばかりだったが、それでもなんとなく口にしてしまうのは、あの頃に比べて今が退屈で仕方ないからなのかもしれない。こんなことを言うと、「バチがあたる」かもしれないが。

というかそもそも『俺はバチがあたる』という言葉の意味を知らないのだが。なんか、俺が馬鹿なことを口にするたびに言われた記憶がある。日本にはバチというものがあるのだろうか。今更訊けないし、調べる気も起きないことだが。

「ユウの頭にさ、サイレンついてたらよかったよな」

多分、バチあたりなことを言った俺をリナリーは今度は確りと見据えた。少し眉を顰め、わからないわ、という表情を浮かべて。

「もしサイレンがついてたら赤く光るんだ、なんかあったときに」

ファンファンというサイレンとともに。
いや、ユウのことだからもっと面白い音にしたほうがウケル。例えば、なんだろう……豚の鳴き声とか?

「ユウの精神がぐらついたときとか、泣きたいときとか、怒りたいとき・・・・あ、怒るときは遠慮なく怒るか。とにかく、なんかあったとき。ほら、アイツ誰にも何にも言わないで溜め込むだろ?だからそんなとき、光って鳴ったらよかったとおもわねぇ?」

そうすれば俺はその変化に気付いて何かしてやれたかもしれない。俺が気付けなくても誰かがけたたましい豚の鳴き声や点滅する光に気付いてユウを慰めてやれただろう。

「ユウが『なんにもねェ』って否定してもなんかある、って気付けるじゃん。」

『なんにもねェっていってんだろ!』ってキレてるんだけど、『ブーブー』って鳴き声が邪魔して俺には聞き取れないの。そしたらユウは口惜しいやら恥ずかしいやらで真っ赤になって俯いて、ぽつぽつ話し出してくれる。

つらいこと。
なきたいこと。
さみしいこと。

そしたら俺は其れを理解して、できるだけのことをしてやれたかもしれない。

「な?いい考えだろ?ユウだけじゃなくて、コムイとか、アレンとか、いろんな人につければ、さ」
「馬鹿だね、ラビ」

彼女の言葉は結構きつかったが、目は笑っていた。

「そんなの皆がつけたら、煩くて任務できないよ。潜入捜査とか、できないし」
「あ、そーだなぁ。でもさー………」
「うん、でも、いい考えだね。」

リナリーはまた宙に目をやる。

「みんなの痛み、皆がわかれればよかったのに、ね。」

そうしたらきっと、すこしだけでも強く生きていけただろうに。でも、サイレンがなるたび、なきたくなっただろう。我慢できなくなって、逃げ出すものも増えていただろう。

「ねえ、ラビ。」

リナリーの目に、涙が浮かんでいるように見えた。
その涙が何に対してのものかは推し量るしかないのだろうけれど。

「ラビのサイレンが鳴ってるの、わたし、聞こえてるよ」

嗚呼、この可愛らしい女性は、戸棚の奥にある大量の睡眠薬のことに気付いている。何時使おうか迷っていることも、気付かれている。でも、

「俺も、リナリーがサイレン鳴らしてるの、気付いてるさ」

君の左手首の無数の傷を俺は知っている。俺達は静かに微笑み合うしかなかった。
大切な人たちを喪って、喉が裂けるぐらいに叫びたい分、鳴らしている心のサイレンに気付くことが出来ても、やっぱりどうしようもない。

だから、心のサイレンなんてなくてよかった。
気付いてるのに気付かないフリをするほうが、わかってるのに助けることが出来ないほうが、気付かないまま喪うより、よっぽどつらいから。

ってことを考える自分はどうしようもなく利己主義だと思う。
だから、この罪を、生きることで償えそうな気がするから、もうすこしだけ戸棚の奥を意識しないでいようと思う。ってことを考える自分は結構な偽善者だが、そういうことを言い出したらきりがないのでやめる。

「紅茶、おかわり淹れるね」

ひだまりのなか、静かにサイレンがこだましている。



さいれん