世界の歴史を見届け、記録するのが貴方に課せられた使命なら。貴方を見守り、見届けるのは私の使命なのかもしれない。

昨夜から降り続いた雪は早朝には辺りを眩しいほどの白銀に染めた。室内外の温度差で窓は結露で曇っている。そっと指を這わすと、指を伝って冷たい水が垂れ流れる。慌てて窓から手を離すと、這わせた指の形だけ、外の世界が見えた。何の足跡も付いていない真新しい雪が、彼の心に酷似しているように思えて、すこし苦笑する。彼の心の波は、私が知る限り最初から穏やかだった。

荒れたところなど見たことも無い。
無風の、恐ろしいほどに無風の海。しかしその海は、何にも興味を示さず人と関るのを避けて、自分の右目に辛さも痛さも、なにもかも封じ込めた上での穏やかなもので。其れを知っていて如何することも出来ない自分の無力を悔やんだことも幾度もあった。心の底からの慰めの言葉も「ありがとう。」の一言と、苦痛を堪えたあの笑顔と共に彼の上辺を滑ってゆくだけだった。彼は、あの大きな運命を背負って生きていくには、余りに華奢で純粋すぎたのだ。そして其れを支えるには、私の手は余りに幼く、小さく。吐いた息が白く広がる。

温かいココアでも飲もう。
窓辺を離れようとしたとき、誰もいなかった白銀の世界に二つの影を見つけた。そのときの彼の顔を今でも鮮明に覚えている。何にも執着しなかった彼が初めて興味を持った対象が彼、神田ユウだった。神田には不思議な力が在る。それこそ、言葉などでは表現できない類の、不思議なもの。神田は何の不自由も無く、彼の心の底に踏み込み、そして優しく包み込んだ。其れに対して彼も其れを受け入れ、自然と依存するようになった。

そのときだ、“運命”と云うものを信じてみたくなったのは。

誰にも心を開かず、唯独り暗闇の中にいた彼が、神田ユウという一人の少年の影響で大きく変わった。何も映していなかった独眼には、神田と共に周りの景色も映るようになり、硬く凍り付いていた心は徐々に溶け出した。誰にも出来なかったことを、神田は何の苦も無くやってのけたのだ。幼い頃に読んだ童話のお話のように。彼には神田でないといけなかった。神田でない私が幾ら頑張ったところで、彼の心をこじ開けようなど、無謀なことだったのだ。其れが判って、何故だか少し悔しくなったけど、それでも今はそんな二人を見守ろうと思うようになった。



真白な雪のなかで、小さな雪だまを投げ合っている二人は馬鹿みたいに幼稚で無邪気で、珍しく平和で。こんな非日常が、いつか日常と呼べるようになればいいと、そう願った。

でも。

「リナリー、どうしたの?」
「ううん、なんでもないわ。ココアでいい?」
「いいよ。其処は寒いだろう、こっちにおいで」

そっと、窓の淵から手を離す。
余程冷たかったのか、指先の感覚が薄れていた。

でももし、彼が神田を喪ってしまったら。
彼が神田を亡くしたら、一体何が残るだろう。
答えはわかりきったことで、其れを敢て思考回路から外すのは、其れがそれ程遠くない未来に待ち受けていることを予感しているからなのかもしれない。

ケトルの笛と重なって、二つの笑い声が聞こえてきた。

彼の心の波は今、
嵐の前の静けさを伴って。

せめて