彼は時として、俺の心臓に牙を立てる。
あふれ出す生暖かい血は、甘い甘い鉄の味。

事後、見回した彼の部屋。
ベッド脇のサイドテーブルの上に無造作に置かれていたのは、黒くて長い。

「なにさ、コレ」
「見てわかんねぇか。」
「………ネクタイ?」

判りきった質問に彼は応えない。理由は簡単。彼は怒っている。そう、それはもの凄く。自分では優しくしたつもりなのだが、彼にとってはそうではなかったらしい。もっとも、普段ならば多少の痛いことをしても許される(悦ばれると言ったほうが適切だ)のだが。生憎、彼は明日朝一で任務があるそうで、且つ中で出してしまったこともあり、機嫌も腹の調子も最悪だった。

だが、どうせ任務から帰ってきたらまた機嫌よく擦り寄ってくるのだから、そんなことは全く気にしていない。猫のような扱いやすい性格に、感謝していたりするのは此処だけの秘密だ。嗚呼、そんなことはどうでも良い。今気にするべきは、何故、このフォーマルとは無縁の男がネクタイ等というフォーマルの代名詞を枕元においているのか、ということ。よもや浮気などということは無いだろうが、やはり気になるもので。

「なんでこんなもん持ってるんさ?」
「……関係ねェだろ。」

その不機嫌をむき出しにした返答に苦笑してしまう。どうやら彼は相当にご立腹のようだ。だが、やはり気になどしない。彼の機嫌よりも頬を膨らませた愛らしい表情のほうが気になり、下半身が再度疼きだしたのを意識せずにはいられなかった。

「何ニヤついてんだ……」

先程までの激しい喘ぎ声のおかげで枯れた声が軽く笑いを誘う。それを目ざとく見咎めた彼は、その綺麗な形の眉を顰め、あからさまに不機嫌な表情を創って見せた。流石にこれ以上ご機嫌を損ねるとセックス禁止令が発令しかねないので、慌てて顔を戻し、話題を変える。ひねくれているようで実は素直な彼は、簡単に引っかかり……ほら、もう先程までの不機嫌が飛んでしまった。

よく言えば素直、悪く言えば単純。後者は悪い意味合いに取られがちだが、俺とってはどちらも恋人を形容する可愛らしい言葉に変わりない。

「俺、ネクタイ結べねぇさ」
「マジかよ………」
「大マジ。」

その顔は一瞬、軽い軽蔑の色を示したが、すぐに優越のそれに変わる。何時も劣勢な自分が優位なのが嬉しいらしい。彼のご機嫌メーターは一気に上がっていった。

「じゃ、練習してみろよ」
「いや、別に結べないからって命にかかわることじゃねぇし」

「いいから俺に、結んでみろよ」

流石の俺もその言葉は予想していなかったので、不覚にも眼を丸くしてしまった。どうやら情事の余韻が残っているらしく、素面なら自分で言って赤面するような言葉も何の抵抗も無く発せられるようだ。

「ユウに、今?」
「そうだ」

と、いわれても事後。
自分も彼も全裸に近い。というより、彼はまるっきり全裸だ。シーツを纏っているだけのその裸体に、襟の無い首に直にネクタイを締めるのには聊か、いや、かなり抵抗があった。

「早くしろよ」

どこか嬉しそうにせかされる。不本意ではあるが、第二ラウンドのためにも、やはり機嫌を損ねるわけにはいかなくて、嫌々ながらも細い首にネクタイを掛けた。
黒い紐がもとより白い彼の首をいっそう白く見せる。その下劣でない色香に、思わず生唾を飲んでしまう。

「そこを押さえて、上に通すんだ」
「こう?」
「そう。で、根元を押さえてここを引っ張るんだ」
「こう…?」

彼の教え方が上手いのか、いつもは何時間しても結ぶことが出来ないそれを、たった一度で結ぶことが出来た。少々歪な形になったが、そこはまあいいとして。満足したことを伝えるために、大きくうなずいてみせると、彼が僅かに口角を上げた。遊びはここまでにしようと、ネクタイから離そうとした手を突然乱暴に摑まれる。

「もっと、きつく」

その眼は新しい玩具を手に居れた子供のそれで。俺はその笑顔には逆らえないから、言われたとおりにネクタイを締めた。

「もっと」

すこし、きつく。

「もっとだ」

白い首に黒い紐が食い込む。
首筋の血管がより鮮やかに目に飛び込んで。

「ぁ………も……ッと」

ぎちぎちと締め上げられるその首が痛々しくて、手を止めた。

「もう、無理さ」
「…なんだ………、もう終わりか?」



その高圧的な見上げる視線と、ぎりぎりまで食い込んだ黒い紐。締め付けられて浮かぶ、青い筋とそれに反して赤く染まる潤んだ目元に。

欲情せざるを得なかった。

右手で掴んでいたネクタイを引っ張り、バランスを崩して倒れ込んできた首筋に深く噛み付くと、彼は俺の頭を押さえつけ、更に深く噛ませた。

「そう来ると思った」

ころころと笑う彼は本当に愉しそうで。
そのままベッドに倒れ込む。

夜はまだ、終わらない。