「解せぬ」
思った言葉は意識する間もなく口を飛び出していた。
慌てて両手で口を押さえても手遅れで、そろりと視線を隣にやると、一緒に歩いていた幸村より数センチ背の高い男と確り目が合う。小首をかしげて尋ねられた。なんのはなしだ?いえ、なんでもございませぬ。焦りを隠せない幸村を観察するように暫く眺めた後、男は柔らかく微笑んだ。いつみても美しい笑顔だと幸村は思う。幼い頃、父親だったか信玄だったかが毎度毎度酒の席で言っていた、これが女だったならばどれほど、という言葉が脳裏を過ぎった。顎に手を当てて少し思案するふりをして見せて(本当は最初から分かっているくせに!)、彼はふと思いついたように笑った。やはり、やわらかく美しい笑顔だった。
「佐助のことか?」
直ぐに返答できなかったのは図星であったからだ。しかし返事をしないままではあまりに子どもっぽいだろうと思い否定しようとしたのだが、吐きなれぬ嘘は簡単に見破られてしまうだろうと思いなおした。暫く如何しようか考えいたのだがこの男には敵わないことは重々承知していたから仕方なく素直に頷き、そして問い返す。何故お解かりになったのですか。
男は笑みを深くした。
「幼い頃から信繁は佐助のことになると人が変わるからな」
「人が……変わりますか………」
「普段とは目つきからして変わる。なに、それだけ佐助を大事に思っているのだ、なにも恥じることは無いよ」
それで、と男は先を促した。佐助と何かあったのか。
幼い頃と変わらない男の、聞きたがりで知りたがりな性格が妙に嬉しくて幸村は苦笑した。少々言い争っただけでござる。男も苦笑した。それは幸村と同じ表情だったけれども、勿論、本人たちには解りはしない。なんだ信繁、一人前に隠し事か?わしゃわしゃと髪を撫でられて悪い気分にはならなかったけれど、幸村は反撃に出た。いつも余裕の男の、唯一の弱みといってもいいネタを使って。
「兄上のほうこそ、帰省早々某を伴って散歩など……また義姉上と一戦おやりになったのでは?」
「……信繁、小松になにを聞かされたのか知らないが、私は何も悪くないのだよ。お前の言葉を借りるならば、少し言い争いをしただけだ」
「しかし義姉上のあのお怒り様は並大抵のものではないでしょう。口を利かぬ程度ならばまだよいですが……。そのうち本田殿のお叱りが来るやもしれませぬぞ」
幸村の兄であり小松姫の夫でもあるところの真田信幸という男はやはり美しい笑みを浮かべ、弟の髪を掴むように撫でる。どうせ今頃小松も佐助に愚痴垂れているだろうし、私もお前に聞いてもらおうか。犬も食わない喧嘩話を聞くことが此処最近の幸村の盆と年末の過ごしかただが、彼はそれなりに楽しんでいる。
2006/12/31『おおつごもり』
|