その瞬間、場の雰囲気がガラリと変わった。
なんていう漫画みたいなことはないけれど、それでも僅かに空気が変わったのは本当だった。去年の夏や新人戦を経て、西浦の評価は割りと高いところに位置されるようになった。三橋や花井は”西浦のピッチ”や”西浦の主将”というだけで9分割投手、強靭な肩をもつ外野手と認知されるほどだそうで(あくまで桐青の仲沢発信、田島経由な情報だけれど。あと、余談ではあるがオレも”西浦の2番”でそれなりに評価されてるらしい)、それはチームメイトとしてとても喜ばしいことなのだけれど、阿部だけはすこし違った状況だった。勿論”西浦のキャッチ”なのだが、それよりも”榛名の(元)キャッチ”としてのほうが有名らしい。まあ、違うブロックだったオレでも余裕で分かるほどに榛名さんは有名だったから、シニア出身者はほとんど榛名さんを知っていて、そのなりゆきというかなんというかで阿部も有名なわけで。本人曰く、秋丸さんに失礼だしオレの投手は三橋だ。 だそうだけれど、今現在の状況を見る限り、やはり”榛名の”というイメージのほうが大きいらしい。

武蔵野対春日部市立の試合を偵察に来たオレと阿部と後輩数人は、割と多くの人の視線を浴びることになってしまった。後輩達はなにを勘違いしたのかオレらに感心しきりで、視線を集める理由となっている当の本人は面倒くさそうな表情を隠そうともせずに腰を下ろした。すこし離れた席から「隆也ー」と呼ぶ声が聞こえて、1年前と同じような錯覚を覚えながら声の方向を見ると、同じように偵察に来ている桐青の高瀬仲沢バッテリーが手を振っていた。オレとしてはいつの間に下の名前で呼ばれるほどに高瀬さんと親しくなったのか尋ねたかったのだけれど、いつだったか阿部が「高瀬さんも知ってる」といってたのを思い出して口を噤んだ。これはオレの勝手な憶測でしかないが、きっと榛名さんと高瀬さんはそれなりに仲がよくて、だから”知ってる”んだと思う。
てなことを考えていると桐青夫婦がこちらに移ってきた。とりあえず挨拶はしたけど、阿部はちょっと居心地悪そうに見えなくもない。なんで態々こっち来たンすか、 とやはり嫌そうな顔を全面に現したまま膨れる阿部は、なんとなく、弄り甲斐のある後輩という感じだった。高瀬さんが、そりゃお前、と言いかけて慌てて口を塞いで(余談だが、オレは本当に自分の手で自分の口を塞ぐ人を生まれてはじめて見た)けれどコンビネーションが良いのか悪いのか、仲沢はにっこり笑って、決まってンじゃん!と元気良くのたまった。

「『榛名のことは阿部に訊け』これ、埼玉県下の常識!」

場の空気が若干悪くなる。ちょっと本気で痛いだろ的な音を立てて高瀬さんが仲沢の頭を殴って(「もー準サン!!オレがこれ以上バカになったらどーすんの!?」)阿部の米神に青筋が浮かんだ。高瀬さんがオレに、阿部と榛名さんがちょっと前に喧嘩して、連絡も取っていないという話を耳打ちした。なぜそれを高瀬さんが知っているのかというと、放任主義な秋丸さんに代わってこうみえて結構世話焼きな高瀬さんが仲裁に入っているから、だそうだ。阿部がウザそうな目でオレを見て、その阿部を周りのひと達がちらちらと伺う。まあ、阿部がぽろっと榛名さんの弱点とか言うのを聞いたら儲けモノだろうし、実際阿部は榛名さんのニガテなところとか調子の波とか好きな食べ物とか好きな体位まで知ってるんだろうけれど、後者はともかく前者についても勿論、阿部が言うはずはなかった。

「桐青と武蔵野が潰しあってくれたら助かりますよ。まあ、仲沢のリードはワンパターン過ぎて余裕で読めるからいいけど」
「酷ッ!ちょ、今の聞いた?オレ馬鹿にされたよ!?てかなんで阿部は会って早々キレてるわけ!?つか準サンも!!そこはダンナとして何かフォローとかするべきだと思うんですが!」
「ごめん利央、フォローのしようがねェわ。あと、こいつがキレてんのは会って早々お前が地雷踏んだから。今お前はなんも悪くなかったけど、でも悪かった。…つかお前最近人として最悪にタイミング悪い。そういう時期っぽい。昨日も同じような地雷踏んでタケにヘッドロックされてたろ。まあ隆也も過ぎたこといつまでも引きずり過ぎだとは思うけどさー?」
「な!別に引きずってねーっす!つかこないだも言いましたけど、あれはあっちが最初にオレのこと馬鹿に……!!」

一瞬で火がついて瞬く間にヒートアップしていく阿部をおさえようと西浦全員が「まあまあ」の連発。情報らしい情報は得られないと踏んだ他校の連中は視線をグラウンドに戻して、オレも阿部を諌めながら(っていう表現も変だけど)なんとなくグラウンドを見て、吃驚した。焦っていいのか呆れるべきなのかわからない。なんとなく高瀬さんを見ると、同じように苦笑を向けられて、ああ、オレたちホント戸田北バッテリーに振り回されっぱなしだよ、って思った。
タカヤ! と今度こそ本当に1年前と間違えそうな声が聞こえて、けれど1年前と同じかそれ以上に人の視線を集めながらもそれをいっこうに気にすることなくフェンスを揺さぶるあのひとを見る阿部の目は、1年前とは全然違うっていうかオレ的にちょっと直視できないくらいに恋する乙女っぽくて。
去年オレらが阿部本人に聞いた榛名さんとの固執や今のふたりの関係とかは流石に本当に一部の限られた人間しか知らないことだけれど、もしかしたらそのうち”榛名と阿部はデキてる”なんて話が出回らないとも限らないかもしれない、なんて恐ろしい想像をしてしまったのは、フェンス越しに喋りあう、おそらくたった今仲直りしたばかりのふたりを取り囲む雰囲気があまりにも”ソレ”っぽかったからで。



2008/05/29『正直、やめてほしい』