阿部が三橋に”お手”をさせるようになったのはいつからだったか思い出そうとして、そういえば最初からそうだったことに気づく。ふたりが”お手”をしなかったのは最初の、花井相手の3打席勝負だけだったのではないか、 と、1年以上前の衝撃的な甘夏を思い出してオレはこっそり笑った。監督が絞ったそれを半分泣きながら飲み干した男は、今は主将然とした格好でベンチに座って、篠岡となにやら話している。
ダイヤモンドでは1年生の練習試合が行われていた。だからオレら2年は今こうしてダグアウト内の後ろのほうに座って、1年生たちの今後の練習課題を見つけようとしているのだけれど、花井や篠岡には申し訳ないが、オレの目は2年で唯ひとり出場している阿部に向いていた。
言い忘れていたがこれは本日2つ目の試合で、最初の試合は2年生どうしで行ったのだけれど、田島が捕手をしたい、 と言い出して、結局阿部以外の9人が出場した。もともと2試合目は1年だけでさせる予定だったのだけれど、相手校になにかアクシデントがあったみたいで、急遽2年を組み入れたいという話になって、監督が、じゃ、ウチも阿部君いこうか! みたいなノリになって、阿部も試合出たかったみたいで、これでハンデなしですね、 なんていつかの怖すぎる笑顔を相手のベンチに向けていた。

そうして両チームとも1年8人2年1人で始まった第2試合だったが、ウチの1年生投手は立ち上がりが結構酷かった。阿部の代わりにはずれた彼の本来の女房曰く、だって受けんの阿部先輩ですもん、そりゃあがりますって。 だそうだ。阿部と今投げてる彼はブルペンでこそ組むことはあるが、基本的に阿部の相手は三橋だから、試合で三橋以外と組むことは殆どない。たまに沖や花井と組むこともあるが、沖は阿部と組むより田島と組むほうが調子が出るので自然と、阿部はもっぱら、三橋以外では花井と組むことになっていた。
隣に座る主将に目を向けてみる。篠岡はドリンクの補充の為に席を離れていた。花井はオレに観られていることに気づいていない。唯真剣な表情で試合の行方を見守るその姿は紛れもなく主将のそれだったけれど。

「だあくそ、ノーツー…立ち上がりわりーなぁ。いつもあんなだっけか?…て、なんだよ?」
「や、別になんもないけど…」
「そうか?ならいいんだけど…つか今日絶不調じゃね、アレ」
「キャッチ、阿部だからじゃね?あいつの要求どおり投げれるの、三橋だけじゃん」

花井はすこし面白くなさそうな顔をして、だって とか、でもさあ とか言い始めた。もしかしたら愚痴りたいのかも知れないと思ってそのまま放置することにする。箍がはずれて愚痴がとまらなくなった主将が、遂には自分の主将としての不甲斐なさを言い始めたとき、マウンド上の後輩は本日2つ目の四球をだしたところだった。阿部がタイムをとってマウンドへ向かう。さっきヒット打たれてるので今は満塁。まだアウトをひとつもとっていないのに今の調子では押し出しする可能性が高い。
気を遣って集まろうとする内野陣を手で軽く制してから、こういうときに阿部が必ずするのは”お手”。おずおずと差し出された手をとって阿部はなにかをささやいた。最後に尻をたたいて、戻っていく。

「ああやってさあ、バッテリーだけで喋るときあんじゃん?あれってなに話してんの?下ネタ…は、みんな居てもするだろ?ふたりのときはなんか特別な話でもしてんの?」
「………なんでオレに訊くんだよ」
「え、だってお前しかいないじゃん。三橋が投げてあいつがマウンド来んのって、よっぽどのときだろ。三橋、四球しないしさ。よっぽどだからオレらも集まるし。なに話てんの?」
「『昨日の夜はあんなに激しかったのに今日はどうしたんだよ?もっと強気で来ていいんだぜ?』って感じの話だろ絶対」

にやにや笑いながら巣山がオレとは逆サイドの花井の隣に座った。際どい、というかほぼ完全にアウトなネタを笑いながらいえるのは凄いと思うけれど、花井の嫌がる様子を目の前でみたら、なかなかどうして笑えない。とりあえず、副主将としてフォローだけはしてみる。

「巣山、少しは自重しろ」
「でもじゃあなんの話してんだよ?オレも気になる」
「………なんのって…昨日の晩飯の話とか」
「嘘だね」

きっぱりと切り捨てる巣山に花井が泣きそうな顔になる。や、でも嘘だとは思うよ。つかオレらの前でもぎりぎりアウトな下ネタ言うような奴が投手とふたりのときに晩飯の話なんてしないだろ。良い機会だと思った巣山は、どうやら言いたいことを言うことにしたようだ。なんとなく話の内容を察知したのか、篠岡がこちらに戻ってこれずにおどおどしている。そっか、スコアこっちに置いたままだもんね。オレが付けとくよ、 と身振り手振りで伝えると、凄く感謝された。その間も巣山の喋りはとまらない。こういう微妙に下っぽい話題になると泉ばりのマシンガントークになるのは1年の頃から変わらないというか、むしろ酷くなっている気がする。

「つかオレはお前と阿部の”お手”がもう観るに耐えないんですけど」
「はあ?………なんでだよ」
「おまッ、自覚ねーのかよ!?なあ栄口、こいつらの”お手”やべーよな?」
「あー…まーね」
「だからなにが!」

花井はグラウンドを見据えたまま、けれど泣きそうに裏返った声をだした。泉がウザ気にこちらを横目で見てから、すぐに目をそらした。こういう話には関わりたくないんだろう。

「なんかさあ、まず阿部の顔からしてなんか違う!なんかエロい。目が。」
「なんだそれ…」
「エロいんだって、お前を見る目が!つかお前もたいがいエロい顔してる。つーかお前の場合はやらしい顔になってる。なんつーの?そういう雰囲気でてる感じ?あーもーお前らマジ他所でやってくれ、みたいな。つか見るっつーかもう見つめてるだろお前ら。見つめ合ってるだろアレ。もうオレら居心地悪ぃのなんのって!なあ?」
「うん、まあ、他所でやれとは思うよ」
「そいで、手の合わせ方がなんかもう、お前らどーやったらそれだけの行為をそこまでエロくできんだ、って感じ!なんかR指定だよ阿部。つかお前らふたり。18禁だよあれ」
「オレらまだ17だけどな。つか花井に自覚ないことがオレ的にびっくりだよ」
「そんなに酷いか……?」
「酷い。」

きっぱりと言い切る巣山に今度は同意を口にはしなかったけれど、でも正直、マウンドでああいう、完璧にデキてますみたいな雰囲気醸し出されると対応に困るのは本当だ。巣山のいうとおり、花井と手を合わすときの阿部はちょっと普段より、なんというか、とろんとしている感じで、花井は(多分、四球とかで参ってるからなんだろうけれど)そんな阿部を困ったような目で見つめていて。

「『花井……』『おい阿部、みんなの前だぞ…』『でもだってオレもう…』みたいな」
「そッ……んなんじゃねーよ!!」
「いーや、そんなんだって。なあ、栄口?そんなんだよな?」
「そーかもしれねーけど、巣山お前暴走しすぎ。しのーか引いてるって。はい、スコア」

これ以上ないような困り顔で寄ってきたマネジに追い討ちをかけるように巣山は、しのーかは去年1年耐えれたんだから抗体あるだろ、 なんてことをのたまって、だから篠岡は乾いた笑いをするしかない。花井は花井で頭抱えて、オレそんな態度にでてんのか!? と悶々しだしたし、巣山の下劣なトークは、いい加減頭にきた泉に叱咤されるまで続いた。
阿部と”お手”をしたあと、今までの不調が嘘のように本来の調子に戻った西浦の期待の星は、さくさくとアウト3つとって、相手にしたら3者残塁という士気の下がることこのうえない結果を抱えて戻ってきた。同じく、戻ってきた阿部が頭を抱えている花井を不思議そうにみて、それから、どうしたんだコイツとでも言いたげな、マウンドとは打って変わって全くといっていいほど愛を感じられない視線をオレに向けてきたから。阿部の”お手”はすげー威力って話してたんだ、 とだけ言っておいた。



2008/5/10『でろでろにあまったるい』