キッチンに立っている母親の、おかえりなさいという声が聞こえてきて、隆也はこたつの中で目を覚ました。布団を鼻まで引き上げて眠っていたから乾燥してしまった喉を押さえながら、起きようか起きまいかずいぶん悩んで、結局もう少しこのままで居ることにした。どれくらい眠っていたのかはわからないが、あの母親の声は対弟専用のちょっと高めのものだったから、今は弟の帰宅時間、きっとまだ夕方だろう。こたつを独り占めできているということは父親もまだ帰ってきていないようだ。阿部家はなんだかんだで仲が良く、できる限り家族そろって夕食をとるので、まだ食事までは時間がある。もうすこしだけこのぬくもりを堪能していようと、今度は頭までもぐりこんだとき、ぱたぱたと軽い足音が聞こえた、その次の瞬間にはせっかく暖まった布団を乱暴にめくり上げられていた。

「ッ!?てンめえ!ぬくい空気逃げるだろーが!」
「うはーあったかー!すげーてんごくー!」
「聞いてンのかシュン!つかなんでわざわざ隣に来るんだよ、狭い……」
「だって兄ちゃんぬくいんだもん。……オレも寝転ぼー」

もそもそと弟が体を動かすたびに暖まった空気が逃げていくようで、隆也はなんだかやるせない気持ちになった。というか、そう大きくもない正方形のこたつの、その一辺に、決して小さくはない男二人が入るには無理がある。先に入っていた自分が場所を変えるのは癪だった。しかし弟も出て行く気などないらしく、結局兄弟二人、結構な至近距離で向かい合うことになった。なんか、傍から見たら絶対すげーバカみたいな光景だとおもう。
こたつの中で、冷え切った足とぶつかって、隆也は思わず声を上げた。一瞬驚いたけれどすぐににやにや笑い出した弟に苛立って、文句を言おうとしたけれど、その前にバカみたいに冷たい足に自分の両足を絡みとられた。

「……コラ、冷たい。つかお前なんで裸足なんだよ…風邪引くぞ」
「お母さんが入るんなら靴下脱げって。つーか寝てたの?声がらがら。兄ちゃんこそ風邪引くよ」
「オレは鍛えてるから大丈夫なんだよ……部屋もどって取ってくれば」
「ヤだよ。フローリング冷たいし、その間に兄ちゃんここ占領する気だろ」
「もどってきたら入れてやるよ。スリッパ履いてけばいいだろ」
「スリッパも冷たい。……つかもういいよ、暖まったから」

会話が途切れる。隆也は再びまどろんでいた。暖かい。すごく気持ち良い。

「寝んの?」
「……目ェつむってるだけ」
「もうすぐご飯だよ」
「わかってる」
「………」
「………」
「………」
「………ッ!?」

驚いたのは、服をめくられわき腹を触られたことよりも、触る指の冷たさに、だった。この弟は隙を見せるとすぐに触れてくる。ちょっと暇になったらすぐコレだ。心地よい転寝を妨害されて、隆也の機嫌が悪くなる。

「……つめたい」
「すぐ暖かくなるよ」

その言い方がなんとなくいやらしくて、隆也は顔をしかめた。いったいどこでこういうのを覚えてくるんだろう。やっぱり学校か。自分のときはどうだった。…シニアだった気がする。考えているうちにもわき腹を撫でる手は明らかにそういう意思を持ちだしていて、けれど抵抗しようにも、弟の無邪気な笑顔を見ると何も言えなくなってしまう。

「兄ちゃん、顔赤くなってきた。気持ち良いの?」
「……お前、こーゆーの、ホント好きだな」
「うん。どきどきしない?」
「微塵もしねー。つかマジでやめろ。さわんな」
「ヤダ。てか実は兄ちゃんもこーゆーの好きでしょ。だってちょっと汗……」

シュンの言葉が途切れたのは部屋に母親が入ってきたからで、さすがに隆也は弟の手を掴んだけど、でも指先を動かされて結局意味が無い。寒いわね。母親がこたつに入ってくる。テレビの電源を入れ、置いてあったみかんを剥きながら、ニュースを見る。

「あんたたちホント仲いいわねー」
「くっついたほうが暖かいもん。ね、兄ちゃん」
「……んッ」
「今日はお鍋だから、もっと暖かくなるわよ」
「ホント?なに鍋!?」

言いながらシュンの手は動きを止めない。緩んだ兄の手から逃れると、汗ばんだ身体を這い上がる。辿り着くと、周りだけを撫で回す。焦らすような行為に唇をかみ締め、睨みつけてくる兄に微笑を返しながら、声は無邪気な中学生だ。

「シュンちゃんの好きなキムチ!」
「ホント?あーおなか減った…お父さんまだかなー」
「さっき電話したらもうすぐって言ってたよ……やだ、また強盗だって…」

母親の意識がテレビに戻ったのを確認してから、再び悪戯を始めた手を、しかし力の入らない手では止めることはできない。遂に隆也は小さな声で懇願しだした。母親には聞こえない程度の声。けれど絶対弟には届いているはずなのに、無視されてどうしようもなくなる。辛い。泣きたい。部屋に戻って、続きをしたい。

「……ッあ、…しゅん、」
「なに」
「あ、…てめっ、ア…」

さすがにバレそうだと思ったのか、暴れていた手が動きを止めた。その一瞬の隙に隆也は慌てて起き上がる。息を整える。残念そうな目で見上げてくる弟。突然起き上がった息子に驚く母親。

「顔赤いよタカ。こたつも程ほどにしないと。風邪引いたら皆に迷惑かかるんだからね」
「うん、ちょっとうがいしてくる……」
「やっぱ兄ちゃんも好きなんじゃん」
「……なにがだよ」
「……キムチ」
「……シュン、」
「んー?」
「飯食ったら勉強みてやっから、……部屋来い」
「うん!」

嬉しさを隠そうともしない弟を、それでも可愛らしいと思ってしまう自分が、ひどく情けない。



『こたつ』2007/11/24



シュンが黒くてごめんなさい