「やっぱ旦那が一番なわけね」
あまりにも外れたところに投げてしまって、それが続いて四球したから阿部がタイムをとってこっちへきた。「落ち着け」とか「焦んな」とか内野の面々が優しい言葉をかけてくれる。あがりやすい性格のオレは正直、その言葉にかなり救われた。皆が戻ってから、最後に阿部がやっとひとこと。「確りやれよ」
うんまあ、確りしないといけないとは思うし、阿部が間違ってるなんて思わないけど、なんでかそのときのオレはその言葉に溝を感じてしまって、んでしかもそれをなぜだか三橋と比べてしまって、つい無意識に、ぼそっと漏らしてしまった。地獄耳の阿部がそれを聞き逃すはずも無く、けれど眉をひそめただけに留まったことに正直感謝していた。
まあでも、阿部ってやつは根に持つっていうか気になったらとことん追求する性質で、だからオレは一応はこの部の主将であるにもかかわらず、試合が終わった今現在、偉そうにベンチに膝立てて座ってるオレらの正捕手の前で正座させられている。自業自得といえばそこまでなんだけど、なんか辛い。しかも恥ずかしい。だって他の部員が遠巻きに眺めてるし。まあ当然かもしれない。自分で言うのもなんだが、オレは阿部に怒られることなんて無かったから。篠岡が気を利かせて離れていったのを確認してから、阿部はでかいため息をついた。
「で、さっきの、なに」
「さっきって……?」
阿部の目が鋭くなる。オレでもビビるんだから三橋は相当だろうなんて若干現実逃避しようとしつつ、けれど逃げさせてくれないのが阿部隆也という鬼キャッチであるわけで。
「試合中、旦那がどうとか言ってたじゃん。アレ」
「え、…いや、特に深い意味は……」
強烈なタレ目ににらまれて思わずうつむく。だってこれはマジで怖い。本人は怒ってるつもりじゃないのかもしれないけど、すごい迫力だ。ヤリすぎて怒った時だってこんな顔してなかった気がする。いや、あれもあれでこの世の終わりみたいな恐怖を体感したけれど。なんてことを考えてると焦れた阿部に舌打ちされる。こいつホント気が短い。
「……言えねーわけ」
「や、別にそんな……ホントたいしたことじゃねーし…」
「いいよ、無理に言わなくても。でもさあ、夫婦ってこういう些細なところから離婚につながるんだと思うよ」
「うえ!?ちょ、おまっ、…それって野球のはなし?それか、あの……、違うほうの話デスカ…」
「一般的な夫婦の話」
三橋たちが見てる手前でかいリアクションが取れないのが面白いのか、阿部は、それはもう楽しそうな顔で、それをムカつくけど可愛いとか思っちゃうオレは相当なアホに違いない。でもこんな笑顔見れるんならアホでいいわとか思うから、オレはもう本当にだめにんげんだ。
「………からかうなよ」
「じゃあ答えろよ。旦那がなんだって?つか旦那ってなんのはなし…」
「……三橋だよ、三橋。あのとき、お前『確りやれ』しか言わなかっただろ…いや、べつにもっといろいろ言って欲しかったとかそういうんじゃなくて、ただ三橋がマウンドにいるときはもっとたくさん喋ってるように見えてっから、なんつーか…三橋のほうが思われてるっつーか。……悔しいのとはちょっと違うし、アホなこと言ってるのもわかってっけど…なんかさあ、三橋はいいなぁって思って、それが声に出た……だけ」
阿部の、ただでさえでかい目が大きく見開かれる。
呆れられたのは確実だった。「公私混同するな」とか怒鳴られそうだったけど、話し終わっても阿部はきょとんとしたままで、あーもーだからオレのまえでそーゆー顔するなっての!
「……お前三橋になりたいの?」
「は?いや、そーゆーんじゃなくて、なんつーか……しっ、…嫉妬…みたいな……だーもー!だからオレにも三橋と同じ態度とれってことだよ!」
言ってて自分で、それは違うだろうと思ったけど言い終わってしまったし、訂正するのも面倒だし恥ずかしいしで、かなり混乱した。阿部も阿部でよくわかってないまま、オレの言ったことを考えてるみたいだし。あーもー帰りたい。遠くからこっちをみてる栄口に視線で助けを求めてみるもスルーされた。あいつ結構腹黒いよな、とか思ってると阿部が頭の上に電球点いたみたいな顔をした。でもすぐに電球がクエスチョンマークにかわる。
「三橋と同じ態度って…ウメボシしてほしいのかよ?」
「そーじゃねくて……」
「じゃあなに、怒って欲しいの?おまえそーゆーのとは逆の趣味だろ」
「ちっ、違!ちげーよ!オレは普通!って、お前昼間っからそういう話……」
阿部は割と平気で下ネタっつーそういうことを口にする。きっと男兄弟だからなんだろう。うちでは考えられないことだ。まあ、オレはオレで、女性の生理事情には無駄に詳しかったりするから(なんせ月に2度、理不尽な八つ当たりと意味の無い号泣の餌食になる)、どっちもどっちかもしれない。
「つか三橋と組んでてマウンドいくときはあいつがよっぽどバカしたときだけだぜ。コントロールいいからそういうので宥めにいくことねーし。…オレがいろいろ注意するからいっぱい喋ってるように見えるんだろ。逆にお前は注意なんてしねーでいいから声掛けだけですむわけ。わかったか?」
「……お、おう」
「よし!んじゃ、オレらもグラ整いこうぜ」
オレ達がベンチからでてくるのをみて田島と、あとから三橋が走ってきた。どうでもいいけどお前ら、トンボ振り回すのは危ないからやめろ。終わったー?と尋ねる田島に手を上げて応えながら、阿部はオレにしか聞こえない程度の声で言った。
「つかオレ、お前に三橋と同じ態度はとれねーわ」
田島が無邪気な笑顔で走ってくる。声のトーンからして、なんか、万が一にもあいつに聞かれるのはまずい気がした。でも続きを訊かずにはいられない。搾り出した「なんで?」はちょっと上ずっていてかっこ悪い。緊張するオレがそんなに面白いのかはわからねーけど、阿部は悪戯が成功したみたいな顔で。
「だってそうなったらオレ、甘える人いなくなんじゃん」
「え……?」
「甘えさせてくれてるだろ?そーゆーの、花井だけだから」
続く、「栄口は突き放すタイプだし」「花井はみんなのおかーさんだもんな」は聞かなかったことにした。というか、無意識なのか狙ってるのかしらんが、こいつのこの時たま無駄に可愛い性格はひどく性質が悪い。鼓動が早くなる。田島が来る。冷静になれ。でも顔は多分絶対赤い。それを見て、阿部は止めを刺すみたいに、とてもきれいに笑った。
「照れてんの?梓ちゃん」
「ばッ、……梓ゆーな………つーかお前、そーゆーのマジ反則……」
「なになにー?反則って何の話ー!?つーか花井、なに怒られてたの!?」
「ッべつになんでもねーよっ!」
田島に飛びつかれて息苦しい。ぎゃいぎゃいじゃれてる間に阿部はちゃっかり三橋とグラ整始めて、でも別に気にならなかった。というか、むしろすがすがしい。
『ノせんのも仕事』 |