「もうだめだー!!!」
この世の終わりを迎えるみたいなひどい声を上げて、そのままシュンは仰向けに倒れた。倒れたというか、寝転がった。オレの部屋の、フローリングの上に。右手にはシャーペンを握ったまま、シーリングライトしかない天井を見上げる目はどこか虚ろだ。ベッド脇の時計を見ると、いつのまにか日付が変わって1時間経っている。野球以外では全くといって良いほど集中力のない弟にしてはよく頑張ったほうだ。ため息とともにシャーペンを置くと、期待と不安の入り混じったような大きなタレ目に見上げられる。
「じゃ、ちょっと休憩な」
「いいの!?」
「いいよ、ちょっとだけなら」
「じゃあ、オレ飲み物もってくんね!」
両親を起こさないように、けれど急いで階段を下りる音。飲み物を待つ間なんとはなしにシュンの問題集を覗いてみたけれど、正解率は5割ほど。割と放任なはずの両親に頼むから勉強みてやってくれ、と頼まれた手前、赤点を取らすわけにはいかない。さて、どうするか、と悩んでいるうちに今度はそおっと階段を上る足音が聞こえてきた。
シュンの1学期の成績は、あまりよろしくなかった。小さいころから勉強よりスポーツだった弟は、それでも去年までは平均を保っていたのに、今年になって突然授業についていけなくなったらしい。一昨日、深刻な顔をした母親に見せられた通知表はアヒルだらけ、5をとっているのは体育だけっていう、こういう言い方は失礼かもしれないが、かなり、田島っぽいものだった。ちなみにその田島は現在、明日が日曜ということもあって我らがキャプテンが泊り込みマンツーでカテキョしている、はずだ。
「兄ちゃんは牛乳ね」
ローテーブルにコップを置いてから、律儀にドアを閉めに戻る。そういう、何気ない思いやりがあるのはいいとおもう。いいとおもうけれど、それと勉強とはまた別の話で。向かいに座ってウェルチを一気飲みする弟はえらく余裕なふうに見て取れた。こういうところも、無駄に田島っぽい。
「……お前さー、こんなでどーすんの」
「んー?」
「ベンキョー。野球も良いけど、勉強もまじめにやれよ?」
「んー」
わかっているのかいないのか、微妙な返事だ。そっくりだねぇ、と近所の人によく言われるタレ目がなんか変な具合にとろとろしてるから、もしかしたら眠いのかもしれない。そう思うと、オレも眠くなってくる。基本、早寝早起きだから、そろそろ辛い時間帯だ。空になったコップを置いて、にーちゃん、と間の抜けた声。子どものころからシュンは眠くなると語尾を伸ばして喋る癖があるから、きっと本当に眠いんだろう。なに、と返すと痛くないの?とたずねられた。
「なにが?」
「ひざー。捻挫したじゃん」
「もう治ってるよ」
「ふーん」
恐る恐るジャージ越しに膝をなでるてくるシュンは、まだ大きな怪我をしたことはない。まあ、しないに越したことはないのだけれど。そのまま、寝ぼけてるのか、と思うほど、犬猫の頭をなでるみたいにひとの膝をなで続けるシュンの目はやっぱりとろとろだ。今日はもう切り上げようか。オレはコップに口をつけた。冷たい液体がゆっくりと喉を流れていくのがわかる。もう痛くもなんともないところをなでられるのはちょっとおかしいとも思ったけれど、別にやめさせる理由もないのでされるがままになっていると、ゆっくりと動いていたシュンの手が止まった。
「……にーちゃん」
「んー?」
「……、さわっていい?」
「もう触ってるだろ」
「じゃなくて、こっち」
答えるまもなく、お前今までの眠たげな態度は演技かよ!と思うほどの素早さで足の付け根、体の中心に伸びてきた腕を慌てて引っ掴んだ。チッ、と顔に似つかわしくない舌打ちをしやがったので、頭を一発叩いてやった。
「いってー……なんでだよー」
「『なんでだよー』じゃねーよ!休憩終わり!続きすっぞ。まだ2ページしか進んでねーんだからな」
恋人同士、仲良くテスト勉強。でも途中で飽きてしまった男に流されてしまって結局そのまま保健体育のおベンキョーなんて、今日日ありえないほどベタな展開だ。ベタすぎる。そして嫌すぎる。
「もーだめだって、触らせて。っていうかしたい」
「なにいってんだよ……あーもう!もーいいから今日は寝ろ!ほら、さっさと部屋帰れ」
「やだ。やらせて。今寝たらムセーする!ぜったいする!にーちゃーん」
「………」
お前、今のそれは絶対牛乳飲んでるやつに向かって言っていいことじゃねーだろ。甘えるみたいに圧し掛かって来た体を押し返すついでに開いた口は、言ってやりたかった文句がまだ牛乳の粘り気が残る口にたどり着くその前に、ウェルチの味でふさがれた。
『しろ、むらさき』
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