その日聴いていたウォークマンの内容は偶然、あのひとが好きだった(今はどうだか知らないが)アーティストのベストで、普段ならもう少し静かな曲を聴くのにどうしてだろうと考えると、榛名元希が脳裏に浮かんだ。すると今度は口の中のガムが存在を主張しだす。そういえばあのひとはこの種類のガムを好いていた。今はどうだか知らないけれど。
キスするときの、ヨダレが垂れる程の濃厚さとは対極って感じの、鼻に抜けるキシリトールの爽快さを自分が気に入っていたことも思いだす。瞬間、辛いはずのガムに若干の甘さを覚えてしまった乙女な自分を恥じる間もなく、
「タカヤ…?」
ふいに声を掛けられたような気がして、イヤホンを片耳外して振り返ると武蔵野の制服(だとおもう)を着た元旦那が笑っていて、それはきっと単なる偶然だけれど、一瞬でも運命って言葉が過ぎってしまって、いい加減この乙女思考をどうにかしなければと苦笑した。なに笑ってんだよ、と顰められる整った眉も昔と変わらない。唯、昔よりもすこしだけ柔らかい雰囲気が彼を取り巻いているように思えて、だからそれに呑まれてしまったオレもひどく穏やかな笑顔を浮かべられたはずだ。
「だからなに笑ってんだよ」
「なんでもないですよ」
「……変なヤツ」
そう言いながら元希さんも笑っていて、やっぱり昔とはすこし違うことを思い知らされた気がした。ふと、秋丸とかいうキャッチを思い出す。あの優しげな笑みを浮かべるひとの存在にチリリと痛みを感じて自分の嫉妬を自覚した。と同時に、いい加減懲りろよ、と内心自分で突っ込む。
「どっか行ってたんすか?」
「姉貴のオツカイ」
「ふーん」
気のない返事をしながら、彼や彼の母親と同じ整った顔をした女性を思い描く。最後に会ったのはもう2年前だけれど彼女の笑顔を鮮明に思い出すことが出来て、当時のオレは元希さんだけでなく榛名家全員を好いていたことを思い出した。
オレは気取られてしまわないように細心の注意を払いながら、当然のように隣を歩く、やっぱり身長は追いつけないままの元希さんを見上げる。目が、どことなくあの頃とは違うように感じた。何があったんだろう。オレが離れてた1年とすこしの間に、この目はなにを見たんだろう。突然知りたくなって、けれど今更尋ねるのもおかしいので、勝手に気まずくなったオレは視線を逸らそうとして気がついた。行儀よく口を閉じて彼が咀嚼しているそれは間違いなく。
ガムだ。
オレも今現在噛んでいるから解らないけれどきっとオレたちのまわりはキシリトールの匂いでいっぱいなはずで、それがなんか馬鹿らしかったのと同時になんでかわかんねーけど凄い嬉しかったから、なんでかわかんねーけどテンションあがっちまって、
「元希さん」
「あー?」
「オレらもっぺん、仕切りなおしませんか」
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