ドーナツ状に並べられているデスクの中央にあるパイプ椅子に座らされ、尋問が始まる。
デジャブのような感覚を覚えるのは、今自分が置かれている状況が、昔、まだ軍学生だった頃にラビたちと観た、古いドラマやSFアニメに似ていたからだろうか。
「じゃあ、質問はじめるよぉ」
老人達の中でひとり明らかに浮いていた少女が口を開いた。どうやら見かけどおり、この集団のボスらしい。それにしても、この部屋は薄暗い。というか、灯りは中央につるされたひとつだけで、暗すぎて端のほうは全く見えない。それが此処が屋外であるかのような錯覚に陥らせる、様な気がする。とにかく、何が言いたいかって言うと、不快ってことっちょ。
「もう面倒だし、僕もこうみえて結構忙しいから率直にきくけどぉ……ズバリ、あの可哀想な眼帯君に軍隊持つっていっちゃったのは君〜?」
「………」
「じゃあ、どこでその情報を手に入れたわけ〜?」
「………」
「君さぁ、黙秘しても寿命がほんのちょびっと伸びるだけだよ?ねえ、誰に聞いたの?」
「…答えて欲しい?」
「まあね」
「あんたらのボスだっちょ」
老人がざわめき立つが、少女はわずかに目を見開いただけだった。
「はぁ?うちのボスってゆうと、社長?違うよォ、ティッキーじゃないのはわかってるもん。もっとマシな言い訳しなきゃ……」
「そうじゃないっちょ。もっと上のヒト」
「上?そんなのいたっけー?」
「とぼけてんなっちょ。………あんたらじゃない”ノア”だっつーの」
少女は、今度は明らかに動揺した。逆に、老人達はいっせいに沈黙する。
「……それはつまりー、君はスパイだったってことォ?…や、でもスパイされる理由ないか……また訳わかんなくなっちゃった。それってつまりどぉゆうこと?」
「つまり、お前らだけが気に入られているんじゃねェんだぞ、ってことだと思うっちょ」
「………」
「………」
「オッケーわかった、もういいよ。じゃ、死んで」
ここで古いドラマっぽく、「唯一の心残り」をモノローグであらわそうと思ったけど、どうやら心残りらしい心残りは無いみたいで、それはそれでめでたいっちゃあめでたいなぁ、とか思うわけで。
* * *
医療部門統括者に与えられた、彼女には広すぎる部屋のドアをノックされて、リナリーは手を止めた。手を止めたといっても、キーボードを弄っていたわけでも、カルテに目を通していたわけでもなかったのだが。よく通る、けれど耳障りの良い声で返事をするとドアが開けられて、そこに立っていたのは、果たして彼女の兄だった。
リナリーは今度こそ完全に手を止めて兄を出迎えようとして、そのまえに点け放してあったパソコンの電源を落とそうとした。コムイはそれを目敏く指摘する。
「…見られては困る作業でもしてたのかい?」
「違うわ、BGMにしていただけ。この部屋、音楽再生できるのがこれしかないのよ。ほら、この間ふたりで観にいった映画のサウンドトラック」
「ああ、あれはなかなか良かったね。展開がちょっとローテンポだったのが残念だけれど」
「気に入ったのなら、今度兄さんにも焼いてあげるわ」
「『兄さんにも』?」
「神田がね、興味あるって。意外でしょ、こういうのが好きだとは思わなかったわ」
「……神田くんねえ…」
「……神田が、なに?」
「彼、次の週末の任務は外されるそうだよ」
「…………そう」
それだけ言って、リナリーは本来は薬品を入れておくための冷蔵庫から野菜ジュースを取り出した。ふたりぶんのグラスに均等に注ぐ様子を、コムイは黙って観察する。形容しがたい色の液体を注ぎながら、リナリーは幼い頃を思い出していた。大事な話があるときでも兄は私のすることを中断させようとはしない。けれどそのかわり黙りこくったまま、作業が終わるのを待ち続ける。そしてリナリーの作業が終わる、つまり彼女が逃げ場をなくすのを確認してから話を切り出す。兄の昔から変わらないところのひとつだが、正直彼女にとっては疎ましいものだった。社名の印刷されたコースターに細身のグラスを置いて、リナリーは諦めたように笑った。兄もまた、やわらかく微笑み返す。
「外されることとその理由は明日にでも、クロス統括から本人に伝えられるそうだよ」
普段は兄と二人のときは活発に話すリナリーも、今日は黙ったままだ。黙って、唇にほんの少しの微笑をたたえて、兄の次の言葉を待っている。その姿が生前の母親に良く似ていると、コムイは思ったが口にはしなかった。
「僕は一応君の保護者だからね、話は社長本人から聞いてるよ。荷造りの途中、邪魔したね」
「……意地悪ね、兄さん。……でもだって仕事だし……ううん、違うわ。仕事を言い訳にするのはずるい…。この任務はね、私の使命だと思うの。私はあんな研究には反対なの…生物兵器なんて、自然の摂理に反してる。するべきじゃないわ。…あんなことをしたせいで戦争に……たくさんの人が死んだ…アニタさんも…死んだ…。私は…反対なの。神田には悪いけれど、私は、本当は神田の存在も……あんな実験を続けてるから…ラビまであんなふうになっちゃって…」
「神田くんは、誰より自分の存在を疎ましく思っているよ。それに、彼のせいじゃない。彼が負い目を感じる必要はなにひとつない。だからリナリー、彼を責めてはいけないよ」
「わかってる…でもこれ以上神田みたいな存在が増えてしまってはだめ。そんなことをしていてはまた戦争になってしまう。同じことを繰り返してしまう…。ティキは…、あのひとは戦争はしないって言っているけれどあんなのきっと嘘。今はそうでも、もし他の勢力が実験を成功させたらすぐに『G』を再開させるに決まってるわ。仮に本心からそう言っているのだとしても、人は力を手に入れると使わずにはいられなくなる。強すぎる力は、必ず争いを呼ぶから……」
「だから、行くというのかい」
「だって止めないと!このままでは世界を巻き込む戦いになってしまう…そのまえに食い止めないと!それができるのは…私だけでしょう?」
「……そのために多くの犠牲が出ても?」
「…しかたないわ。でも罰は受ける!全部終わった平和な世界を見たら、必ず償う!だから今は…兄さんお願い」
コムイは深く息を吸い込むと、自分と同じ色の、涙でぬれた瞳をみつめた。
「リナリーのそれは、唯のエゴだ」
誰より自分が良く知っていることを言われて、リナリーは悲しく笑うことしかできない。言い返そう開いた唇から洩れるのは嗚咽だけだった。泣き止むまで兄は優しく肩を抱いてくれるだろう。泣き止んだとき、どうしようか。無力な自分が憎らしくて、それを知ってて煽る兄が悔しくてしかたないから、知っていることを全部言って、「兄さんのそれもエゴだよ」って笑ってやろうか。けれどそれはかなわなかった。ほんの一瞬の油断を突いて、コムイはリナリーの腹に拳を入れた。
「…に、さ…?」
「ごめんリナリー。でも今は眠って。このままじゃ平和を見る前に君が過労で死んでしまうよ」
意識を失った妹を診察用のベッドに横たえ、自分も腰を下ろす。
どうしても行かせたくなかった。まさか『G』の生成の手段を自分だけが知っているものだと信じているわけではないだろうが、それにしても、正義感の強いリナリーを使う上のやり方は気に入らない。そしてなにより、一度決めたら死んでも意見を変えようとしない強情な妹と、力ずくでも彼女を止められない自分が気に入らなかった。
「……ごめんね、リナリー」
でも君を死なせたくない。
「ごめんね」
そうして僕はまた、彼女を守るという両親との誓いを果たせない。
あの人との約束も守れない。
エゴだ、 と妹に言った。
けれどお前のそれもエゴだよ、 と、あの人が笑ったような気がした。
命乞いの電話