「今日ラビは休みだから、神田君も休んでいいよ」

ここまで不安定だとは思わなかったな、とコムイは困ったように笑って言った。
コムイがラビの欠勤理由を言わないのは俺の予想が当たっているからで間違いないが、それはそれで不審だった。数日前、軍の保有が正式に発表される前にラビにその情報をリークした人物が軍事裁判を経て、組織の総務部に身柄を移動させられた。ロードの執拗な詰問の結果、組織にとって有害だと判断されたそいつの行く先は決まっている。だから、彼(もしくは彼女)の結末を聞いてラビが落ち込むのも無理は無い。しかし、俺ですら頼んで初めて知ることができた情報を、治安維持の人間であるとはいえまだ新人のあいつが、どこからどのようにして手に入れることができたのだろう。

「休みって……給料はくれるんだろーな」
「勿論。あ、なんなら書類整理手伝ってくれてもいいけど?」
「………訓練場、行ってくる」

そうやって俺はいつも、肝心なことを知ることから逃げている。





「はァ?軍の貸切?どーゆーことだよ?」
「どういうことと言われましても……」
「軍には軍の施設があるんじゃねーのかよ?」
「ただいま建設中でして……」
「チッ……ったく、そのへん考えてから行動しろってんだよ…あのアホ社長…」

射撃の訓練ができないのならばこんなところに居ても意味は無い。
リナリーでも捜して相手になってもらうしかないと訓練場をあとにしようとするが、後ろから肩を掴まれてかなわなかった。驚いたのは、直前まで気配を感じられなかったことだ。しかし意識してみればすぐに香水のきつい匂いが煩わしくなる。

「相手を探しているのなら私がお相手するわ」
「………てめェじゃ役不足だ」
「なら話し相手になってくれないかしら、神田ユウさん」
「…話すことなんざねぇよ」
「亜流に用は無いってこと?」
「察しがいいな」

エリアーデとかいう、あいつがやたら気にかけていた女は、妖艶に笑ってみせた。

「……残念だけれど、これからの主流は量産のきく”我々”よ」
「関係ねェよ……てかそんなこと言ってお前、プライドないのか?」

女の目が、瞳孔が開いたようになった。なるほど、それがチカラの”発動”か。
それにしても、ちょっと絡まれたくらいでキレるなんざ、生態兵器云々よりまず曲がりなりにも理性を持った生き物としてどうかと思う。俺もキレやすいほうではあるが、ここまでではない。これが本性なのか何なのか知らないが、エリアーデの口調というか、捲くし立て方といったら、号泣したときのリナリー並みだった。

「調子に乗って人間のふりをするな!所詮はお前も私達と同じモノなんだよ!戦争のために使われて、そのためだけに生きて、そのために死ぬ。それが存在意義。私達は人じゃない…兵器なのよ!それなのになぜ人間を演じる!?……それになんの利益があるというの?」
「それは……」

あの人が、生きていてもいいといったから。
愛してくれる人がいたから。

「なに?」
「お前と似たような理由だ」

明らかな動揺が見て取れた。目も元に戻っている。

「……初対面のお前が私のなにを知っているというの」
「初対面だろうがなんだろうが、わかるものはわかる。…理由がなければ今頃、自害を選んでいるだろう。お前も…俺も…」

含みを持たせてみたが、本当は唯の勘というか、当てずっぽうだった。しかしアタリだったようで、情けないことこの上ない。ヒトを上回る運動能力、戦闘力などといわれても精神が並みのヒト以下では意味が無い。俺にとってあのひとや(認めたくは無いが)あいつがそうであるように、この女にも生きる理由となる者が居るということだ。大方、あのクロウリーとかいう指令なのだろう。不思議な話だが、思い当たると同時に目の前の高飛車な女に親近感が沸いた。傷の舐めあいをしたいわけではなかったけれど。

「他のなにを犠牲にしても、傍にいたいと思うもんだ…」
「…………下手な口説き文句ね。口説けてすらないわよ」

エリアーデは鼻で笑ったが、それ以上何も言わなかった。



彼女が離れていったと同時に、(おそらくタイミングを見計らっていたのだろう)またきつい香水をつけている奴がきて、うんざりした。本当に、苦手なのだ。

「さっきの女は軍から来たアレか?」
「ああ、……何のようだ?」
「……部門違いとはいえ、上官に敬語は常識だが?」
「失礼、クロス・マリアン統括。自分になんの御用でしょうか」

男は満足したように笑って、煙草に火をつけた。此処は禁煙だ、と言うか否か迷ったが、無駄にこいつといる時間を長くしたくは無かったので黙っていることにした。けれどこの男はいつも悪い意味で期待を裏切る。

「此処は禁煙だったな……ついて来い、話がある」

連れて行かれたのは誰もいない屋上で、かえってそれが不気味だった。
生ぬるい風が頬を撫で付けていく。

「『週末のお楽しみ』のことだが」
「……オイ、変な言い方をするな。カゲでなんて言われてるかしってんだろ」
「出世できない一部の人間のストレス発散にくらい付き合ってやれ。それに文句なら言い出した社長に言うんだな………今週末の任務、お前には外れてもらう。…そう睨むな、社長命令だ」
「……どういうことだ」
「お前の代わりにリナリーが就くことになった。俺とソカロ達と、あの娘だ」
「なんだと……?」

落下防止のフェンスに凭れて、クロスは再び煙草を咥える。風下にいると煙がまともにくるので、仕方なく、彼の隣に立った。フェンス越しの街は、何も知らないふりをして、今日も平和を過ごしている。クロスが笑う気配がした。

「全部言われなければわからないほどお前の脳は熔けちゃいないだろう?今までのは派生した別の組織か、繋がっていても枝の一番末端の部分だったが…今度は違う。物凄い規模の実験が行われているし、それらしい反応もある、…だそうだ。間違いないらしい」
「リナリーは…どうしてリナリーを同行させるんだ?コムイは知ってるのか!?」
「リナリーが就くのはお前が外れるからだ。変に反応して、暴走でもされては困るからな。コムイは関係ない。あの男もそろそろ妹離れするべきだ」
「………なんでリナリーなんだ」
「彼女は『お前』の作り方を知っているからだ。……敵さん、”ノア”の技術を盗んだだけでなく、『G』制作にも取り掛かってやがる」
「前からそうだったじゃねーか」
「……バカか、貴様は」
「んだと!?……ッ」

振り向くと同時に、腕をひねり上げられてそのままフェンスに叩きつけられた。クロスの無駄にでかい体が覆いかぶさるようになっている。今誰かきたら、確実に誤解される気がした。噂や陰口だけでも頭が痛いのに、これ以上なにかあるなんて考えたくも無い。

「此処から先は有料。身体で払ってくれたら教えてやってもいい」
「ふざけんな……遊んでる暇ねーんだよ。さっさと言え」
「……可愛くねぇな…。まあ安心しろ、俺はお前らと違って女専門だから」
「………殺すぞ」

クロスは笑って、けれど体勢を変えるつもりは無いらしい。

「今までの実験は全部未遂だ。お前と眼帯が襲われたのは獣型の、しかも制御がきかずに生みの親である研究者を噛み殺すような失敗作。しかも他者に感染するような迷惑極まりないチカラをもっていた。あれは確実に失敗だろう。他の研究室は…お前らが押し入ったところや俺たちが行ったところ…廃墟もあわせれば20件以上になるが……、アレはひとの形をしてはいない。まだ試験管のなか段階だった。あのレベルからお前みたいなやつを作り出すのは困難だろうな……」
「……今回のは」
「言っただろう、今回はアタリだ。ヒトの形まで到達しているらしい。未確認情報だが、戦闘能力もそこそこだそうだ。おめでとう、兄弟誕生だな」
「どこ情報だよ…」
「社長の個人的な網に引っかかったらしい。それで今回リナリーを同行させることにした。アタリといっても半分は勘のようなものだ。潜入したリナリーが作業行程を確認したうえで彼女が『G』の制作だと確証して初めて、突入になる」
「……なんで態々…資料をもっていけばあんたでもわかるだろう?」

やっと腕を開放してくれたクロスは、そのままフェンスに凭れた。
二人して、青い空を見上げるのがなんとなくバカらしい。

「『G』に関する資料は存在しない」
「は?…だってあの人はちゃんと…」
「あいつが作って、助手のアニタに託した『G』の資料は、アニタの死後リナリーに渡った。…俺はそれを彼女に暗記させた後、処分させた。…この世でお前の正式な作り方を知っているのはリナリーだけだ」

アニタの名を口にするときだけ、クロスは目をわずかに細めた。

「言い換えれば、リナリーならば簡単に『G』をつくることができるということだが、あの娘に限ってそんなことはない。わかってるだろう?」
「矛盾している…」
「なにが?」
「…リナリーしか知らないのなら、『G』を作れる敵なんかいないはずだろ…まさか…」
「ユウ」

ラビでも社長でもない、低い声に名前を呼ばれて、身体がこわばったのがわかった。
落ち着け、こいつはあの人じゃない。

「それ以上は、俺の仕事だ」

随分短くなった煙草をフェンスから投げ捨てると、クロスは屋上を後にした。
残された俺だけひとり、雲ひとつ無い空を見上げる。

『G』の開発プロジェクトに深く関わって、今生きているのはクロスだけだ。あの人とアニタは死んでいる。リナリーは当時はまだ生まれていなかったし、彼女は結果的にアニタをを死に追いやった『G』プロジェクトを毛嫌いしている。コムイは当時クロスの部下だったが、直接関わることはできなかったはずだ。コムイのはずがない。あいつは後悔している。計画を止められなかった自分を、心底憎んでいる。あいつなわけがない。

じゃあ誰だ?

プロジェクトを指示したのは当時の社長で、その頃ティキは唯の副社長で、やはり直接関わっていたわけではない。あの人が死んだ事件とアニタが死んだ事件、それと今回の『G』の事件。全てに関わっているのは俺とクロスで、でもそれだけじゃなにも繋がらない。頭が混乱する。
もっと頭がよければよかったと思ったのはこれで2度目だ。


いつのまにか真上に浮かんだ白い雲を、ぼんやり眺めてみる。
ラビもこの雲をみているだろうか、なんてらしくないことを考えた自分に、苦笑した。









かかとの後ろ側