呑み込まれてしまいそうな闇の中で
唯、みどりいろの光だけを追いかけて、俺は。
インカム越しに聞こえてくる銃声と悲鳴に嫌気が差して、ボリュームを落とす。再びの銃声の後、聞きなれたバリトンが耳を刺激した。息一つ乱れていないところはさすがというべきか。
『Fの73地点を通過。クラウドたちはもう到着したそうだ』
「わかった…俺ももうすぐだ」
通信を終えたと同時に背後から襲われる。鉄パイプを振り回す男はおそらくこのフロア、最後のひとり。最早なんの意味ももたない奇声と共に暴れる男は当然、戦闘訓練など受けてはいない。恐怖と運動の疲れから呼吸は荒く、脂汗を掻いている。振り下ろされた鉄棒を受け止め、払いのけると男は無様にも腰を抜かした。
「ひっ…ッまってくれ!本当は、ッ裏切るつもりなんかなかったんだ…!た、頼まれたんだ!嘘じゃない!だからお願いだ、こっ、殺さないでくれ命だけはお願いだ!妻が…!娘が…!」
生憎と俺は必死に命乞いをする姿に同情するような育ち方はしていないし、どうせ妻も娘ももう死んでいるはずだ。怯えて震える男の眉間に照準を合わせ、トリガーをひく。鈍い音と共にひとがひとり事切れ、流れ出した血が彼の白衣に小さな染みを作った。
ウィンターズ・ソカロは何時にもまして上機嫌だった。
殺しをすると興奮する一番性質の悪い人種の、場の空気をまったく読んでいない冗談を、神田はこの上なく嫌っていた。要するに、苦手だった。まあ、苦手という意味では今日のパーティーメンバーは皆苦手に分類されるのだが。
「遅かったなァ。ンだよ、ふたりでイイコトでもしてたのか?」
「馬鹿言え。偶然一緒に着いただけじゃねェか。つーか一番障害のあるルート押し付けといて何言いやがる…」
同時に集合場所に到着した、事実上本日の部隊長であるクロス・マリアンは曖昧な笑みを浮かべ、得物に付着した血痕を拭うだけだった。
「俺達相手にそんな口の聞き方すんのはお前くらいだぜ、神田」
「敬語使って欲しいんならそう仰ってください、ソカロさん」
「けっ…可愛くねぇな。そーいやぁお前、社長にもタメだろ。敬語使ったことあるのか?っつーか使い方知ってんのか?………。あァ、アイツにだけは敬語だったか?笑顔つきの敬語。」
目にも留まらない速さで銀のリボルバーを突きつけられ、ソカロは笑みを深くした。
最も仮面の下のことは誰にも解らないが、それでも絶対、ニヤリと笑ったはずだった。
「どうしても撃ち殺されてェみたいだな」
「やってみやがれ」
今にも発砲しそうな神田と何処までも胡散臭い笑い声のソカロの間に割って入ったのは、得物の血を拭い終わったクロスだった。殺気は出していない。しかし殺気をまったくちらつかせないことが逆に恐ろしく思えた。彼は視線をソカロに向けたまま神田にの得物にそっと触れた。
「銃をしまえ神田、無駄弾を使うな。お前も、こいつは餓鬼なんだからからかってやるな。」
クロスの指示に素直に従う神田に不満を感じながらもソカロは何も言わなかった。場が収まったのを見計らってクロスは煙草を取り出す。瞬間、神田の顔色が変わったのをみたのは誰も居なかったが、俯いた彼の呟きは確りと耳に届いた。
「……吸うな…」
「何故だ?…違う銘柄だろうが。いちいち過剰に反応しているとあの事で『構って欲しい』みたいに思われるぜ」
「違…ッ」
「そろそろいいか、突入の時間だ」
それまで傍観を決め込んでいたクラウドが時計を気にした。どうせ猿の餌のことでも考えているんだろう。冗談じゃない。だからこいつらとの任務はイヤなんだ。どいつもこいつも好き勝手言いやがって。あー糞。マジで糞だ。さっさと終わらせて帰って眠りたい。頭まですっぽり包まって、閉じこもりたい。
「―――だ、神田、聞いているか?」
「ッ!……、悪い」
「…気分が悪いのか?」
「いや、…大丈夫だ」
気を遣ってくれるクラウドが今はどうしようもなく憎らしかった。頼むから放っておいてくれ。クロスの最終確認の声が遠くで響くように聞こえた。解ってる、何度も言うな。此処から先の廊下はひとつ。突き当りが一番重要な研究室。どこも同じ造りの建物にするのは馬鹿だって、ああ、それも何度も聞いたさ。この施設は稼働しているからオートで扉が開く。生きた研究員が立てこもっているにしろ、自害しているにしろ、同じ。ひとは身元が解らないほどに潰して、研究されている『モノ』は全て、建物と共に燃やし尽くす。
「いくぞ」
扉が開くと同時に銃弾の嵐が巻き起こる。数はあちらが圧倒的に多いが、所詮はラボ詰めの軟弱な研究員。戦闘能力は比べるまでもない。しかし、神田は、あろうことかこの面子で一番戦闘能力のある神田は、銃弾を浴びてしまった。胸と右手を掠った弾は背後のマジックミラーを粉砕する。破片がまともに降り注ぎ、顔面を深く切ってしまった。研究員の悲鳴にも似た声にまぎれて、ソカロの声が聞こえた。ひどい言葉で神田を罵倒する。しかし、彼にとってそんなことはどうでもよかった。白衣と血と悲鳴と破壊音の、その一番奥。あまりに場にそぐわない神秘的なそれは淡い光に包まれたまま。
これを燃やすために来たのだ。此処でのこれを終わらせるために、わざわざ組みたくもない連中とパーティーを組んでまで来たのだ。額と胸を己の紅が染め上げていく。右手の真下には血が広がっている。勿論、痛みはある。しかしそんなこと気にもならなかった。それほどまでに。
それほどまでに、目の前のみどりいろのそれが。
ひどく。ひどく、なつかしかった。
疎ましき朝