「これさー、ぜってーオイラたち撒こうとしてるんじゃん?」
デイシャの一言に対し、誰も何も言わなかったが皆心中は同じ意見だろう。前の、その前の黒塗りの車は何度も左折、右折を繰り返す。マリは文句一つ言うことはないが、神田の額には青筋がくっきりと浮かんでいる。そもそも、コムイの話にはひとつ、とても大きな矛盾があった。確か彼は社長は嫌がった、と言った。しかし今回の護衛、もとをたどれば命令は社長からきているようで。そのことについて誰も何も言わないのは、言ってはいけないような気がしているからに違いない。
道は相変わらず綺麗に舗装されているが、両側の建物の種類が明らかに、繁華街のそれではなくなってきていて、お忍びデートではないことを、言い出したデイシャも認めざるを得ない。社長は何処へ向かうのか、車内にいる殆どの人間が見当も付かないでいる。唯一の、状況を確り把握しているであろう人物は先程の得物の話題の後完全に口を閉ざしてしまって、何度デイシャが突付いてももう鬱陶しい、とさえ言わなかった。神田の機嫌は最悪で、それに比例するように車内の雰囲気もわるくなっていく。マナーモードにしていた神田の携帯が震えたのは、車内の空気が最悪に淀んだ、数分後だった。盛大な舌打ちの後、通話を確認するなり神田はいつもより大分低い声で抗議した。
「いいかげんにしてください、俺達も任務なんです。…は?しつこい!?…任務ですから。いえ、貴方にもしものことがあっては……その根拠は?そいつらが危害を加えないと何故言い切れるんですか?……あァ?ンなことは解ってます。貴方が殺しても死なねェのは十分理解しています。でも任務ですからご理解ください…はい…はい、解りました。……切りますよ?………マリ、港だ。黒塗りがウインカー無しで左折したら車を止めろ。其処からは歩く。気付かれないように気配は消せ。あとラビ、お前いい加減にギリギリまで装填しねェ癖どうにかしろ。今日それやったら殺すからな」
今は使われていない港、コンテナが並ぶ迷路のような埋立地、黒塗りがフラッシャーを使用せずに左折したのを確認して、4人は車を降りた。インカムを配りながら神田が嫌味な視線を送るものだからラビは仕方なくマガジンを叩き込む。性に合わない、というと殴られそうになった。そうこうしているうちにデイシャ達においていかれそうになったこともラビのせいにして、神田はまた舌打ちをしたのを、最年長者であるマリが宥める。
「で、神田。結局社長の用事はなんだったんだ?」
「…人と会うらしい。それ以上は聞いていない」
「そうか……」
いかに4人任務だといってもやはり意思の疎通はコンビのほうが巧くいくわけで、結局セダンの傍まで行くころには神田とラビ、マリとデイシャにわかれていた。銃を構えたまま、4人の瞳はは黒い車の脇、煙草を咥える社長を確認した。
「あー…あのひとが社長だったんさ…」
「ティキ・ミック。この会社の2代目だ」
ラビの、どう考えても場違いな発言に、免疫を持つ神田はさらりと返し、ちょっとやそっとでは動じないマリは小さく微笑んだだけで、唯一人、デイシャだけが真剣につっこむ。インカム越しのつっこみに、ラビは首をかしげた。
「だって顔写真とか計画書に載ってなかったさ…入社式、半分寝てたし…」
『だからって…おい、神田!お前の教育が悪いんじゃん!?』
「俺のトコに来たときにはもう捻くれた性格は完成してた…つーか黙れ、来たぞ」
もうひとつの黒塗りから降り立ったのは小さな子どもと、割と小柄な男性。こちらを気遣ってくれているのだろうか、ティキが見えやすいところまで歩み寄る。神田からは急所は狙えそうもないが、恐らくマリからは狙える。何もないに越した事はないが、何かあった場合それなりに腕の立つマリがいるなら安心だ、と神田は内心ほっとした。
なにがあっても、社長を死なすわけにはいかない。
「…約束したからな」
思わず口をついてでた言葉がラビに聞こえたのでは、と慌てて振り返るも、ラビは男を見据えたままで、神田の声は聞こえていないようだ。あの程度の呟きをインカムが拾えるはずはないし、仮にあのふたりに聞かれたところで別に構わない。それよりも気になるのは、あの男。遠すぎて会話の内容は聞き取れないが、ティキと親しげに話すあの男は一体。
「あれ、バクちゃんさ…」
ラビの大き目の呟きはインカム越しにデイシャたちにも届いたがふたりは視線を寄こすだけだった。喋るのは危険なのだ。男の連れと思しき子どもがつまらなそうに歩いている。それでもあまり男から離れないのは、あの子どもが護衛だからか。あんな子どもに護衛など、と思い、神田は自嘲する。何言ってんだ、俺も昔はああだったじゃないか。デイシャが続けろ、とサインを送った。
「…知ってるのか?」
「知ってる。軍のまあまあ偉い人」
「連れのガキは?」
「ありゃ、フォーだ。変わらねえな……あいつの強さは半端じゃない。あいつたまに学校のほうにきて俺達を一通りぶっ飛ばすのが趣味だったんさ」
神田がまたも自嘲するのを、ラビはみた。そのどこか悲しげな冷たい笑みに、一瞬息が詰まる。綺麗だ、と任務中にあまりに不謹慎なことを考えてしまう。
「勝てると思うか?」
「…は?」
「あのガキと戦って、俺達4人、勝てると思うか?」
フォーの強さは人知を超えている。軍学校に居た数年間で、ラビはフォーに勝ったひとを知らない。というより実際、ひとりも居ないはずだ。
「100パー無理。絶対無理。…つーかなにさ!?やるきなん!?」
「…いや、万が一のときのことだ」
神田は、今度は自分に聞こえるだけの強さで舌を打った。万が一、あのフォーとかいう餓鬼が戦闘態勢に入ったら、俺も発動しなければならない。いや、俺だけならまだマシだ。でもこの場には社長もいる。きっとラビも戦わせたがるに違いない。それだけは避けなければ。不完全なコピーであるラビは制御など出来ない。もしかしたら発動した瞬間に死んでしまうかもしれない。それだけは駄目だ。何があっても、こいつだけは護らなければ。
「…お前が居た頃にまあまあ偉いんなら、今ウチの社長と対等に話してるのも頷けるな」
「………軍の保有の話か…?」
ラビの何気ない呟きを聞いた神田が、突然身を翻した。
突きつけられたリボルバーに驚いて、無意識にラビは手を挙げる。
「何故貴様がそれを知っている!?」
初めて見る、神田のひどく取り乱した姿にラビは目を丸くするだけだった。すぐに正気を取り戻した神田は小さく謝ると元の、いつでもフォーを狙撃できる体制へ戻った。しかし明らかに顔色が悪く、冷や汗をかいている。ラビが声を掛けても、大丈夫だ、しか返ってこない。
「もう…大丈夫だから、だからなにも言わないでくれ…」
今にも泣き出しそうなか細い声が、耳から離れない。
「しっかし、ラビ、どこでそんな話聞いたんだ?オイラ達だって初耳だったじゃん!なあマリ?」
「ああ…軍の保有なんて話はしらないな…何の話なんだ、神田?」
結局なにごともなく、再びバンのなか。
助手席が良い、とわざとらしく駄々を捏ねたデイシャと神田が入れ替わり、来た道を戻る。神田はひどく疲弊していた。車酔いならば前列のほうが良いのだが、神田の場合は違う。車に乗り際、デイシャが言った「マリの隣より、ラビの隣のほうがいいんじゃん?」というからかいの言葉は軽くかわしたものの、正直、ありがたかった。
「…そのまんまの話だ」
「軍もって、なにするんだ…って、それは決まってるか…っつーか、誰が仕切るんだ?」
「……多分、クラウドだろうな。あいつは今特に何もしてないし…詳しくは知らないが」
神田は窓の外を眺めた。
過ぎ去っていく景色とともに、さっきの、最低な自分も連れて行って呉れればいいと思いながら、唯ひたすら外を眺めた。ふと、右手に何かが触れた。おどろいて手を見ると、包帯を巻いている指先をやさしく包む手。ラビが得をしたようににやりと笑っている。ついでに、前列から覗き込むようにして繋がれた手を見るデイシャも、にやにやしていた。
「ンだよー!手なんか繋いじゃってー!お前らもしかしなくてもできてんじゃん!」
「バッ…ちげーよ!なにしてんだ!離せラビ!」
「やだなーセンパイ、照れてんスか?ンもうユウったらァ、かーわーいーいー!」
「ねえよ…!てめェぶっ殺すぞ!」
しまった、と思った。先程一瞬本気でラビを撃とうとしたことを忘れていた。当然、ラビも覚えているはずだ。気まずい。非常に気まずい。とりあえず謝罪しておこうと神田が口を開くよりも先に。
「離さねえさ」
真剣な、低い声だった。
デイシャはもう前を向いていた。腹が減ったからパーキングに寄ろう、と懸命にマリに訴えている様子が実に白々しいが、しかしそんなことに構っている余裕は神田にはなかった。ラビの表情は真剣そのもので、このままではキスされかねないと本気で思った。慌てて顔を外に向ける。ラビが残念そうな声を上げると同時に前列のおねだりも終わった。白々しすぎる。信号に引っ掛って、マリが神田を振り返った。
「腹が減ったそうだが、どうする?」
「……勝手にしろ」
「やったー!オイラこの近くに美味しい店知ってるから、ナビるわ!」
「ああ、頼むぞ」
前列のほほえましいというには喧しすぎる会話を眺めながら思い出したように手を離そうとするラビを、神田がゆるさなかった。僅かに握りなおされた手をみつめて、ラビは笑みを深くする。こんな気分になるのはとても久しぶりだった。窓の外を眺めたまま、神田はちいさく、ラビにだけ聞こえるような大きさの声で礼を述べる。不器用で妙に初々しいその様子が愛しく思えて、ラビはその声にこたえるように、手を握る力を僅かに強めた。
「あ。つーかセンパイ、さっさと洗濯物とりにきてよ。俺の部屋狭いんだから」
「なになに!?お前らやっぱりそういう関係なんじゃんッ!?」
「違ェよ馬鹿!てめェはさっさと前向いてナビしやがれ!」
バンには賑やかさが戻っていた。海沿いの空は何処までも青い。いつもは煩わしいだけでしかない抜けるようなその青さが嫌いではないと、ラビは久しぶりに思えた。
無旋律のダンス