慌てたところで時間が戻るわけでも遅くなってくれるわけでもないけれど、慌てておかないと後でどんな陰湿な嫌がらせを喰らうかわかったもんじゃないのでとりあえず走った。まあ、流石にエレベーターは普通に使ったけど。

勢いよくドアを開けると一番奥、出入り口正面のデスクから4対のキツい視線を受けた。そのどれもがきっちり俺を非難するもので、あー
、急いできたけどやっぱりこのあと陰湿な嫌がらせが待っているんだな、残念。なんて諦められるはずはなくて。上司であるコムイの笑顔はきらきらと冷ややかだった。

「残念、ラビ、8分23秒の遅刻だよーん」
「いや、ちょ、聞いて…目覚ましが、さ…」
「へー!こいつ、オイラたち相手に言い訳するんじゃん?見モノー!」
「そんな時間はないから、ほら、とりあえず汗をふいて。ネクタイもちゃんと締めて」
「いや、ちょ…コムイ…」

こうも爽やかに怒りを表現できるものなのか、と若干感心する俺を若干のけ者にして今日の任務についての話が始まる。いや、多分正確には始まっていた話を遮ったのは俺なんだろうけど。懐からくっきり皺の入ったネクタイを取り出しながら、寝る前にアイロンしなかった昨日の俺を恨んだ。どうしてこういう日に限って寝坊するんだ、と今朝の俺も恨んだ。

「今日はマリ、デイシャ、ラビ、神田の4人で任務にあたってもらうよ。護衛はいらないって言われたけど、そういう訳にもいかないから。で、マリは―――――」

僅かに視線を移動させて約1ヶ月ぶりに上司の顔をみる。相変わらず無愛想で、相変わらず低血圧な感じの白い顔。以前と違うのはその顔に更に白いガーゼを貼っていることだった。よくみると唇も切っているし、マリが邪魔でよく見えないがスーツからのぞく手にも包帯が巻いてあるようだ。妙にタイミングよく、その手がポケットに入れられたので覗き見していたことがばれたのかと冷やりとしたが、神田の顔は確認しなかったので実際のところどうだったのかはわからない。






ミニバンに乗り込んで一番に口を開いたのはこの面子では一番よく喋るデイシャだった。かなりご立腹の様子からして、きっと前の任務で失態でもしたんじゃないかと思う。俺が言うのも何だけど。キーキー喧しくする俺らを完全に無視して神田とマリがなにやらこそこそ。いや、こそこそしてるんじゃなくて、多分デイシャの声が被ってて良く聞こえないだけだと思うけど。断片的に聞こえてくる単語から、どうやらどちらが運転するかの話をしているらしい。ああみえて運転上手で運転好きな神田は当然、運転席に乗り込もうとしたが、怪我をしているから、とマリに気を遣われている。俺の相棒なのに、俺の知らないところで怪我をしているっていうのはなんか若干腹が立つ。うん、若干。デイシャみたく怒り狂ってるわけじゃない。

「ったくもー!なんでよりによってオイラがこんな面倒クサイことしねーとなんねーの!?つーか護衛なのに同じ車乗らないとか護衛の意味無ェじゃん!死んでもしらねーぞ!?」
「仕方ないさ…社長命令なんっしょ?」
「あー見損なったじゃん、ラビ!お前だけはオイラの気持ちがわかると思ったのに!お前、社長の命令ならなんだって聞くのかよッ!?」

や、だってそのための社長命令だろ。とは心の中で言う。口に出したらきっと逆鱗鷲摑みして狭いバンを喚き声で満たしてしまいそうだから。そうなると前列のおふたりに叱られるのは多分、いや絶対俺だ。一日に何度もお叱りを受けたいなんて思うほど俺はMじゃない。

結局運転はマリになったようで、神田はどうでもよさ気に助手席から外を見ている。前の黒塗りセダンが動き出してすこし経ってから、俺たちの乗った車が後を追った。例によって、車内会話の進行役はデイシャだ。あまりの品の無さでマリに咎められるまで、社長の悪口を吐いた後は、すっきりしたのか、任務の話とか、信号待ちで目に付いた飲食チェーン店のなんとかっつー定食が絶品だ、とかそういう他愛の無い話が続いた。

「つーか朝から思ってたんだけど、お前、珍しく傷だらけじゃん?ミスったのかよ?」

助手席に身を乗りだすデイシャを至極鬱陶しそうに手で払いのけるようにしながら、神田が一瞬こっちをみたような気がしたけど、ほんの一瞬だったから実際のところどうなのかわからない。

「…うるせェよ、ほっとけ。だいたい遠足じゃねーんだからもうすこし静かにしろ」
「いいじゃん!どうせ社長もオシノビで女と遊ぶんじゃん?俺らが気張ることねーって!それ、なんの任務でついた傷なんだ?」
「チッ、……上の任務だよ」
「……あー、…そー」

それっきり会話が終わって、俺はなにもわからないままだ。こういうとき、後輩っていう立場が嫌になる。聞いていいのか聞かないほうがいいのか。いや、デイシャが黙ったんだから絶対聞かないほうがいいんだろうけど。それにしても、上の任務。つーか任務っていつも上からの指示でやるんじゃねえのか。

「――――ッ、なにさ!?」

突然、腰の辺りがざわついて俺は慌てて立ち上がる。脳天の痛さとなんとも間の抜けた音で自分が天井で頭を打ったことを知った。前列のふたりがかなりキレた感じの目で睨むから急いで座ると、隣のデイシャが笑いながら銃を回していた。明らかに、俺の銃だ。ここにきてマリが今日はじめて声を立てて笑った。

「デイシャ、腕が落ちたんじゃないのか?」
「こいつが気配に聡すぎるんじゃん。つーかラビ、お前ウチ来てどんくらいだよ?」
「は?えーと…来たのが夏の終わりだったから、9ヶ月?てかどうしたんさ、突然」

正確には8ヶ月と27日だけれどもそういうことを言うと気味悪がられるから大雑把に9ヶ月。あっという間にもうすぐ1年経つのだと思うと、なんだか不思議な気分になった。まあ、もっともその半年をリハビリとして書類整理にあててしまったのだけれど。
デイシャは相変わらず、俺の銃をくるくる弄びながら前列に身を乗り出した。神田がやっぱり物凄くウザがってるからやめればいいのに、と思うけど、多分デシャは神田の反応を楽しんでるのだろうから余計なことは言わないでおいた。

「なあなあ、得物選べるのって1年からだったっけ?」
「…いや半年で、だ」
「んじゃあなんでお前はいつまでもこのオートマなんだよ?」

チャキリ、とグリップをこちらに回転を止めた銃を受け取る。そういえばコムイか神田にそんなことを言われたような気がする。でもある程度経てば選べるといわれただけであって、それが半年だなんて話はなかった。それに、俺は基本的に銃器類しか使えないし、これで十分だと思うのだが。

「好きなもん選べるんだから選ばねーと損じゃん?」
「デイシャはなに使ってるんさ?」
「オイラ?オイラの特注だけど…はなんつーか…説明しにくい…ボールみたいなやつじゃん。当然、銃もつかえるけど。マリはワイヤーっぽいのんで、神田は――――」
「神田センパイはリボルバーだろ?銀色の」

デイシャが顔をしかめた。

「ラビ……お前、なんで神田はセンパイでオイラは呼び捨てなんだよ!?つーか神田は刀も使えるじゃん。あんまりみないけど…」
「そうなん!?俺、刀ってみたことないさ!今度刀で宜しく、センパイ!」
「てめェら、いい加減私語を慎め!」

神田の白い額に青筋が浮き出ているのが、デイシャにしてはたまらなく面白いのだろう、全く聞く耳を持たない。俺も別に神田が本気で怒ってないことがわかるからデイシャの話に付き合った。神田の刀による武勇伝とか、デイシャの自称華麗なる戦い方とか。マリの弦の話になると本人も話に加わって、神田の機嫌はますます悪くなった。デイシャもマリも、そんな神田を気に留めることはなく、というかむしろ、やっぱり神田をからかって楽しんでいるようだった。前の車に続いて、マリはハンドルを左に切る。

「で、ラビはどんなのがいいんだ?」
「俺?うーん…俺はコレだけでいいさ」

シンプルなブローバック、セミ・オート。手に馴染む、見た目は玩具みたいなこれが、どうにも気に入ってい。というより、手放してはならない気がした。装弾数とか、そういうのもあるけど、こまめに手入れしなきゃいけないところとか、無駄に繊細なところが自分みたいだと、自嘲したこともあった。
何も言わないマリと、不満げなデイシャ。僅かな、でもたぶん車に乗って初めての沈黙を破ったのは神田だった。なぜ?と静かに問われた。なぜそれで満足なんだ、と。

「え…うまくいえないさ…。でもこう、なんつーか………愛着があるんッスよ」

そうか、とマリが納得するとデイシャがますます解らない、というような表情をした。神田は懐から例のリボルバーをとりだすと、ほっそりした指先でバレルを軽くなでた。夜、月の下で煌く銀色のボディは、今は太陽の光を眩しすぎるほどに散らしていた。

「最後の最後に、頼りになるのは…単純なこいつだ」

多分、弾詰まりのことを言っているのだろうと思った。一般的に、単純な構造のリボルバーのほうがオートマチックよりもそういう事故にあいにくいとされている。でもまあ実際、俺はオートマで弾詰まりしたことは無いのだけれど。

「俺が何よりも信用しているのは…自分の腕と、こいつだ」

言っていることは結構根暗なセリフだけど、それを言う神田の顔はどこまでも穏やかだった。





斬り捨ての戯言