結構重要な知らせをもってきた当の本人は言うことを言ってしまうとそれに対する俺の話なんてどうでもいいというように、さっさと話を変えてしまった。まるで観光にでも来たような様子で三方のビルを見上げる。長いっちょねー。この場合、長いより高いのほうが的確だと思ったがそんなところにこだわりを見せるのもどうかと思ったので何も言わない。本館とふたつの別館すべてに通じる道を持つ中庭が、俺はり好きではない。圧迫感がありすぎて気分が悪くなる。だからサチコのように見上げるなんてことは当然、しない。かわりに結構な間抜けヅラで空を見上げる友人を見た。美人は美人なのだがどうにも、そういう対象には見れない。たぶん、タイプじゃないんだろうとおもう。俺はどちらかというとクールなタイプが好きだ。
「…口、あいてんぞ」
サチコは恥ずかしげに、でも結構でかい声で笑った。
この馬鹿っぽい友人との初対面がいつだったかは覚えていないけど、入学して1年かそこらで俺は結構な問題を起こして、そのときに俺を庇ってくれたのがこいつだったってことは覚えている。借りを作ることが何より嫌いだった俺は、助けられたその瞬間にサチコを嫌っていて、それなのにこいつは事あるごとに「あのときの貸しがあるっちょ」で俺を連れまわした。最初はそれが鬱陶しくてならなかったけれど、いつしか「貸し借り」の名目でサチコと遊ぶことが楽しくなっていた。おかげで人間嫌いが僅かだが治ったのだから感謝するべきなのだろうけれど、当然、そんなことは口にしない。俺たちはそんな風な関係じゃない。
「で、お前はどうなんさ?声かかってたりするん?」
「………なにがっちょ?」
「ウチがつくるっつー私設軍の話」
本当に、この友人は緩いというかなんというか。
馬鹿ではないのだけれどかなりの馬鹿っぽいし、無条件で人を信用するし、天然だし。襟章を見る限り順調に出世しているようなのだが、知らないうちによからぬことに巻き込まれてたりしそうだ。んー、と間延びした返事なのかなんなのかわからない声で、サチコは笑った。
「まあ、呼ばれてないことはないっちょ。『それなりの地位も保証する』とか言われたし……。それに、ラビとまた一緒に戦えるんだったらいいかなーとも思ったっちょ。でもラビはなんだっけー…わすれたけど…違う部署だっちょ?」
「ああ…まあ似たようなもんだろうけどな…」
「それにホラ、今オイラ教官してるから…断ったっちょ。オイラはオイラで楽しくやってるし」
実際楽しいのだろう。今教えてる誰の狙撃の腕が良いだの、誰は俺に似て根暗だの説明しているサチコの顔はこの上なく嬉しそうで、なんというか、輝いていた。腕は確かだが、軍人には不向きなほど優しくて甘い性格だ、今の立場が丁度いいように思えた。だから一言そうだな、と返してやると、こちらが驚くほど目を丸くするものだから訳がわからない。
「……なにさ」
「いや、ラビなんか…かわったっちょね…」
「はあ?」
「なんつーの?優しくなったっつーか丸くなったっつーか…なんか、良い感じになったっちょ!もしかして、良い人でもできたっちょ?」
「『良い人』って…お前どこのオヤジさ…」
「あー!はぐらかしたっちょ!?つーか相手はどんなひとっちょ?美人?可愛い?つーかあのヤサグレてたラビを飼いならしたんだから、母性のある人だっちょな!」
べらべら喋りだすサチコは正直かなりウザい。こいつはどうも昔から興奮すると抑えられない性質で、そういうところは未だに苦手だ。それに相手は母性どころか慈悲のカケラもない冷徹美人だし、と思って苦笑した。相手ってなんだよ俺…つーかそもそもあの人とはそんなんじゃねーし。
「だー煩いさ!黙れサチコ!」
「でも、……でもホント、ラビ良い顔するようになったっちょ。…よかった!」
なにがだよ、と言いかけて口を閉じたのは、サチコの答えを聞きたくなかったから。眩しすぎるサチコの答えは俺にはきっと辛すぎる。というか。
「つーか今更だけどお前、それって重要機密じゃねーの?」
「ばれたら軍法会議モノの超!重要機密っちょ」
にかっと笑うこいつは守秘義務の意味を知っているのだろうか、なんて思ってると「じゃ、帰るっちょね」と敬礼された。軍服のままうろうろするのはやはりご法度だったようだ。相変わらず無鉄砲というかなんというか、台風みたいな奴だ。正面ゲートまで送る、といったけれど拒否された。まあこちらとしても軍人と連れ立っているところを見られて得なことは何一つないだろうから有りがたかった。多分、サチコもそれを解っているはずだ。ゲートのある方向へ向かって歩き出すサチコの背中はまっすぐで、どこまでも眩しかった。昔と何ら変わりない眩しさが、何故か嬉しかった。しかしその妙に満ち足りた気持ちは、あッ!と振り返るサチコ本人の間抜けさによってかき消された。
「ラビ!恋人、泣かせるんじゃないっちょよ!」
『彼女』ではなく『恋人』というところがなんとも軍人らしいと苦笑しながら片手をあげる。満足して再び背を向けたサチコが見えなくなるまで、何故か手はあげたままだった。
「良い顔、か…」
自分ではどうもそんな風には思えないが、サチコが言うならそうなのだろう。
ふと、無意識に見上げたビルは相変わらず威圧的だったけれど、さほど気にはならなかった。
思い込みの芸術