白を基調にした、消毒のにおいのするこの部屋は決して嫌いではない。けれどこの空間にいる人間の俺を見る目は以前とは明らかに違っていて、そんななかで殊更普通を装っている同僚、兼主治医である彼女が痛ましくて仕方なかった。いつも彼女の傍らに控えているミランダ嬢は、今日はいなかった。バックレやがった、なんて浅ましい疑いをしてしまう俺はやっぱりどうしようもなく性根の腐ったバケモノなのかもしれないと思う。でも彼女は俺から逃げたんだと確信しているから、うん、やっぱり性悪には違いない。

「なーに?」

意識せず吐いた溜息を悪戯っぽい瞳に咎められる。なんにもないさ、と笑ったところで見透かされるだろうからここは努めて正直に。リナリーに逆らうと碌な目にあわないと相棒が言っていた。あの天上天下唯我独尊男がそういうのだからそうなのだろう。

「率直な感想がほしいんだけどさ、リナリーから見て俺ってまだ未熟者?」

大きな目をぱちくりさせて小首をかしげる様子は彼女の実兄でなくとも相当に愛らしいと思うのだが、思った直後、これまた相棒のキツい一言が脳裏を過ぎった。「てめェは“メス”ならなんでもいいんだな」流石にコレには苦笑して「“オス”も可、さ」なんて冗談で言ったときはホンモノの地獄に逝きかけたさ。

「いや…、こないだユウ来なかった日、俺も休みなったろ?コムイの奴『神田君来ないからラビも休暇ねー』って軽く言っちゃってさ…。俺まだ一人で任務とか無理なん?」
「ああ、そのこと。あの任務はね、ツーマンセルじゃないと出来ない任務だったのよ。ラビを他の人と組ますことも考えたらしいけど…ホラ、組み慣れてない人だと意思の疎通が巧く出来ないでしょ?だからあの任務も結局ジャスデビが引き継いだらしいし」
「ふーん……」

広げていた俺のカルテを手早くしまいながらリナリーはやっぱり相当可愛く微笑んだ。微笑むって言うか、くすくす笑われた。

「…なにさ」
「見かけによらず根に持つなァと思って。…もう3週間くらい経ってるでしょ?」
「『見かけによらず』ー?」
「ラビって嫌なこととか一晩寝たら忘れそうなタイプだと思ってた。はい、腕出して」
「あーよく言われるさ」

日に焼けていない腕から血が抜き取られていく。俺の血管は見つけ難いらしくて、大概の場合内出血を作ることになるのに殆ど痛みを感じないで済んだのは彼女の腕がいいからだろう。集めた少量の血液を看護士らしきひとが検査室にもっていく様子をじっと見詰めていた。

仮にそれが緑だったらそれはそれで結構な大事になっただろうけど。

「ラビ?」
「……血は赤なんだな」

リナリーは返事をしなかった。妙な沈黙が一瞬にして空間を埋め尽くす。刺々しい空間を作り出すことが昔から無駄に得意だった。本当、何の自慢にもなりはしないけれど。いたたまれない沈黙は直後の単調な電子音でかき消された。たすかった、と思った。白衣を着たひとりがリナリーに内線を知らせた。二言三言話して受話器を置く。

「ラビにお客さんだって。ロビーにいるらしいわ。」

正直、何かの間違いだと確信していた。治安維持部門の人間は基本的に外界から隔離されてる。それに俺には家族も親戚もいない。大体、客なら普通電話の一本でも入れてから来るのが普通だろう、と。リナリーの、明後日また来て、というあまり嬉しくないお誘いに片手で軽く返事をしてとりあえず本館へ向かった。






黙っていれば大人受けする美人は明らかに目立つ軍服から伸びた長い脚を組んで設置されている大型テレビを見ていた。俺に気がつくと、途端に笑顔。大きく手を振ってよく通る声で俺の名を呼んだ。一体組織の機密とやらがどのあたりの社員まで知れ渡っているのかはわからないが、今、俺がラビだと知られることは良くないように思ったので、再会を祝う喧しい口を閉じさせるとそのまま中庭に移動した。人気の無いのを確認して閉じていた口を開く。

「で、どうしたんさサチコ?」
「サチコて言うなっちょ。つーかせっかくの再会なのにその機嫌の悪さは何だっちょ!?」
「つーかお前なんで軍服なんさ…目立つだろーが」
「着替える時間がなかったちょ。急ぎで知らせたい事があって」

俺が「何だよ」と言う前にサチコは語りだした。語尾が若干煩わしいが、要点を抑えた喋り方なので理解しやすい。それを活かして現在は教官職についているらしいがそれは今はどうでもいいことだ。そんなことよりなにより重要なのは、その話の内容。どうもうちの会社が軍隊を私設し、その人員確保の為に公立である軍学校や現軍人からの引き抜きをするらしい。そんな話は当然初耳だし、ありえない、至極馬鹿馬鹿しい内容だ。でももしこの話が本当なら3週間前から今日まで姿が見えないユウが関っているとも思える。

「オイラ達も混乱してるんだっちょ。何しろ一企業が軍を保有するなんて話は前代未聞なことなんちょ。確かにココの会社は規模もデカイし各国に武器を提供したりしてるし、電化製品の市場なんてほぼ独占してるようなもんっちょ。でもイコール軍保有なんてことになるのはおかしいっちょ。ありえないことだとは思ってるけど実際軍学校時代にラビは引き抜かれてるから…ラビに訊いたら何かわかると思ったんだっちょ」

確かに、そういわれてみれば俺は異例的に軍から引き抜かれた貴重な存在かもしれない。今考えると純粋に戦闘能力を買われてのことだったんだろうけれど、当時の俺はなんで軍人がいきなりリーマンなんだよ、って当然納得いかなかった。じゃあ何故その誘いを受けたのかというとそれは今でも解らないけどたぶん、軍という組織に入る前から嫌気が差していたんだろう。

入学して数日も経たないうちにいくつかの仲の良いグループが出来ていく。ノリの悪い奴はどのグループにも入れない。普通の子ども達が通う学校と同じだった。唯一つだけ違うのは「いじめ」が直に暴力になって現れることだった。女子寮はどうだかしらないけど、男子のほうは殆ど毎日、リンチのようなものが繰り広げられていた。

一緒に頑張ろうねなんていう馴れ合いも、他人を蹴落として優位な立場になろうなんていう野心も、必要なかった。というよりむしろ当時の俺はそういう類の考えを毛嫌いしていた。優しさも、野心もなにもいらない。必要なのは憎しみだけで、俺は唯、その憎しみを込めたライフルをぶっ放すことだけを求めていた。このライフルでいつかあの女の脳天をぶち抜くことだけを、求めていた。






静かな雨+寒い夏