ドアを開けると、見知った顔が至近距離にあった。
驚いて息を呑んだのは神田の方だったが、びびったー、と笑ったのは相手のほうだった。彼はすこしやつれた様にも見えるが、残業のときもこの程度だったからそれほど参ってはいないだろう。許可するまえに部屋に上がる無遠慮さが妙に懐かしく思えて表情が緩む。たった2ヶ月ほど逢わなかっただけだというのに。

「もう体調はいいのか?」
「なんかまだちょっと感覚鈍ってるみたいだけど、でももう任務には出られるみたいさ」

座っていい?といいながら既に一人がけのソファを陣取っている。人当たりの良い笑みを浮かべるほどの余裕はあるようだ。後輩でしかも訪ねてくるには遅すぎる時間帯であるとはいえ、客は客だ、とりあえずコーヒーを渡して、自分はベッドの淵に腰掛けた。手元のブラックの香りが疲れを癒してくれる。ソファに座る男の、おいしいという一言で、自分は間違っていなかったのだと確信した。淹れる最中、たしかこの男はたっぷりのミルクを好んだと、思い出した。ブラックものめるけど、こっちのほうが好きなんさ。そういわれたのは確か最初の任務のすぐ後、オフィス勤務の最中で、そんな他愛も無い会話を記憶している自分に、神田は密に驚いていた。

「で、なんのようだ?」
「んー?いや、2ヶ月も相棒に逢えなくて寂しい思いしてるユウちゃんに、逢いにきただけさ」
「だれがなんだって?てか名前呼ぶなっつってんだろが」
「だって“神田”じゃあ皆と一緒だろ?相棒って特別なんだから皆と違う呼び方したいんさ。それに、ドア開けたときのあんた、マジ嬉しそうな顔してた」
「………自惚れもいい加減にしとかねェとそのうち恥かくぞ」

沈黙が、訪れる。
普段、仕事中や移動中の沈黙など気にも留めなかったというのに、夜という闇のせいか、沈黙をひどく重く感じてしまう。聞こえるはずの無い夜の音と、匂いたつコーヒーの香りが部屋に満ちて、呼吸さえ遠慮がちになってしまう。自分の部屋で、しかもこんな奴相手に遠慮するのは少し、いやかなりおかしなことではあったけれど、しょうがない。なにか喋るべきなのだろうが軽くできる話題など持ち合わせていない。見かけ通り無口な自分と、見かけからは判断できないが実は馬鹿みたいに根暗な後輩との間に会話を成り立たせることは土台不可能なことのように、神田には思えた。枕もとのデジタル時計が深夜2時を知らせる。毎秒点滅するコロンを唯無表情で眺めていると、あのさ、と遠慮がちに声を掛けられた。どこか上ずった声だったのは気のせいではないはずだ。

「そっちいっていい?」
「ああ」

そっちというのはつまり神田が座っているベッドのことなのだけれど、そんなことを考える間もなく返事をしてしまった。どうにかして会話を成り立たせようと思ったのが悪かったのだろうか。こっちに来てどうするつもりなのだろう、という考えに捕らわれる。期待している。この後輩に限ってそんなはずはないと思っていても、それでも期待してしまう。なにを。焦っている自分に心底呆れた。そんな欲望とは無縁のはずなのに。そんなことを望んでいるわけではなかったはずで、むしろ、そうならないことを望んでいたほどで。それを望んでいたのは―――――。

「俺さ、結構前から……てか多分初めてコンビ組んだときから、先輩のこと好きだったかも」

なにか考えがあったわけではないけれど、それでもなにか言い返してやろう、と口を開く前に塞がれた。根暗なくせに手は早いのだな、とぼんやり思う。軍学校に籍を置いていたラビとは違う俺に、拒絶されるとは思っていないのだろうか。何度も啄ばむように唇を合わせるうちに足りなくなって口を開く。その一瞬に滑り込んできた舌に自分のそれを絡めとられ、頭の端に白い霞を思った。なされるがままというのは癪に障るのでこちらからも吸い付いてやると、ひるんだのかなんなのかわからないが、一瞬動きが止まった。いい気味だ、と思う。

噛み付いて、噛み付かれて、顎を伝う唾液がどちらのものかもわからなくなって互いに呼吸ばかり浅くなる。ゆっくりと押し倒されて、身体の上に心地よい重みを感じた。久しぶりの感覚だった。そのときと今をダブらせることもできるだろうけれど、不思議とそういう気にはならなかった。いつだったか、リナリーにからかわれたときは否定したが、やはり自分は、肌を撫でられることに抵抗を感じない程度にはこの馬鹿な後輩を好いているのだ。不思議だった。出逢って未だ一年にも満たないというのに他人に慣れてしまった自分が。他人に触れられることに虫唾が走らない自分が。それどころか、それを愛しいなどと感じてしまう自分が。


――――――――そんなの唯のエゴだぜ。


「―――ッ!」
「悪ぃ……嫌?」
「……………別に」

子供をあやすように髪を撫でられて、どうしようもなく泣きたくなった。

駄目なんだ。
お前だけは駄目なんだ。

思いながらも拒絶しない浅ましい自分が、殺したいほど憎らしくて。



高らかに痛いと叫ぶ