頭が、痛い。
酷く気分が悪い。
未だ痙攣している最後の一体に止めを刺して、神田は長いため息をつき部屋を見回す。バラバラになった魔物の屍骸以外は何も無い、恐らく唯の倉庫として使われていただけのような簡素な空間だった。
それにしても。
この不気味な生物は何なのだろう。
どう見ても図鑑に載っているような種類ではないし、どちらかというとアニメやゲーム、それこそアクション映画に出てきそうなモノだ。だがそれは、CGなどではなく、紛れも無く生きていて、自分に襲い掛かってきた。神田はまたため息をつく。この生き物が何であろうと、自分達の手に負えない大きなヤマであることは確かだ。上に要請して調査隊を派遣してもらおう。
彼は呼吸を整えると今しがた止めを刺した魔物の傍にしゃがみ込み、緑色の液体を採取し、持ってきていた試験管に入れる。確りと栓をし、さて、新入りが向かった最下層へ降りようか、と腰を上げたとき、妙な感覚が神田を襲った。
あのときのような胸騒ぎ。
あの夜のような血生臭さと、曖昧な微笑み。
懐かしいというには余りにも滑稽な、常にこびり付いていた『予感』という感覚。
『来るな、ユウ!』
あの光景を見る前の、あの虫の知らせのような不思議な現象。
それを何故今感じるのかはわからないが、確かに神田は感じていた。
あの新入りが、か?
「チッ」
神田は大きく舌打ちすると、知り合って未だ半日程しか経たない相棒の元へ急いだ。
「……お前……」
エレベーターから一歩踏み出した神田はその光景に言葉をなくす。
血と緑色の粘着質に塗れた新しい相棒は、荒い息のまま、何処か焦点の合わない目で神田を見つめ返していて、そしてその足元に広がるのはまさに血の海だった。魔物と、おそらくこの施設の所有者である人物達の変わり果てた姿。
神田の声に、ラビはゆっくりと振り向いた。体中に血を浴びて。人形のような無表情で。
「………お前が、やったのか?」
ラビは応えなかった。
その代わりに、薄く唇を開いて、笑う。
背筋が凍りつくようなその笑みは、ひどく人工的で、ひどく綺麗で、だが明らかに人間以外の気を発していた。
「………ラビ………?」
初めて口にした名は、自分でもはっきりわかるほどに恐怖を孕んでいて、其れがどうしようもなく情けなくて、でも如何することも出来なかった。ラビは何も言わず、一見焦点の合っていないようにみえる瞳は、しかし確かに神田を捉えていた。
「おい、大丈夫かよ?」
そう言って彼に近付いたときだった。
突然ラビの眼光が鋭利なものに変化し、神田に殴りかかった。
「………ッ?!」
日頃の訓練の賜物か、明らかな不意打ちでもなんとか避けることが出来た。だがラビはすぐに体勢を低くし、未だ状況が呑み込めていない神田に次の攻撃を仕掛ける。治安維持部門に入社2年で異例抜擢されるほどの戦闘能力の持ち主だ。神田は咄嗟に後ろに飛びのいたがしかし。
よけきれない……ッ。
鳩尾に浅く入った拳は、それでも胃の中のものを逆流させるには十分な威力を持っていて、神田は激痛と不快感に襲われながら大量の胃液を吐き出した。
思わず膝をついてしまった神田に、ラビが止めを刺そうとしたそのとき、ふたりの間になにかが割って入り、振り上げたままのラビの拳を押さえると腹に強烈な打撃を加えた。人間。男だった。男は一瞬で意識を失ったラビを担ぎ上げ、空いたほうの手で神田を立ち上がらせる。そのままエレベーターに向かう背中に、神田は静かに続く。訊きたい事は沢山あった。だが沢山ありすぎて、何もいえないのだ。
地上へと上るエレベーターの中の沈黙を破ったのは、以外にも、神田より無口といわれる男のほうだった。珍しく、白衣を着用している。
「この件については他言無用だ。正午付けで、この任務の責任者は俺になった。上の命令だ。よって、全て俺が処理する。以上だ。」
神田は何もいえなかった。
というより、正直ありがたかった。あのとき、割り込んでくれなければ自分かラビ、どちらかが死んでいた。この男に借りを作るのは嫌だったが、今回ばかりは仕方ない。それに。
それに多分、この男は気付いている。
神田が気付いていることに、気付いている。
きっと社長も気付いているのだ。だからこの男を迎えに寄こしたに違いない。
地上で合流した応援部隊に指示をだす為に、男はラビを神田に預け、去っていった。
未だ意識の戻らないラビには、あの男の香水、薔薇の香りが移っている。本部に戻っていたとは知らなかった。直属ではないが、上司に当たる人物。あの人と常に一緒に居た、あの人と同じようにどこかふわふわしていて、掴み所の無い。
「クロス・マリアン………」
宙(ソラ)に堕ちて